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papilloncat

思いつくままに書いていきます

あの夏

雨乞いしてた僕を嗤うように
カラカラの青空
熱中症に気をつけてください、だ
 
振り返った景色が汚れていって
滲んで頭が痛いな
水筒の蓋を外す
 
風船 括り付けられて 風になびいている
一つ舞い上がった 萎んで逆さまの空
 
君を受け容れて欲しくて
こんなにも僕は手一杯だ
名前を呼んでくれるだけで
嬉しくてはちきれそうだ
 
言葉越えた僕らが
どちらともなく崩れる
皮膚を中から揺るがす声が
一人のまま場所を取り合う
 
雨降り 走るバスに乗り損ねる
王様の声に逆らう今日も
僕をさます笑顔は無い
 
隅っこに潜む様に座る
部屋の外側で鳴り出した音
ヘッドホンが離せない
 
光芒 椅子一つ照らした 僕の内側で
諦めきれない 希望も日照りにあってるのに
 
僕を受け容れて欲しくて
幽霊船は静かに軋んでいる
浮かんでは消える君の声
外側に呪いを込めて
 
探して欲しい 見つけて欲しい
背中向けてばかりなのに
正義の雨 中庭の上
悲鳴をあげた 一人が願う
 
風船 括り付けられて 風になびいていた
音が止んだ時に どの君が座っているの
 
僕を受け容れて欲しくて
それなのに君も怯えて押し黙る
隘路の錯覚を抜け出そうとして
外側に祈りを込めた
 
泣きたくても泣けなくて
あの夏に置き去りになる
名前を呼んで欲しかったのに
虚しくてはちきれそうだ
 
言葉越えた想いが
虹の様な形をする
皮膚の中から揺るがす声が
救いのない唄を歌う
 

カスタマーレビュー

従いて行くのに必死過ぎて
結局大事なもの失くしてた
ぶつかり合って 高め合うことも
何から何まで回避した
 
そんな関係 歪で上手くいく訳無いや
 
売り手も知らない挑発にしても
買い手の僕は気付いたよ
ツートップが不健全だなんて
自己完結した生贄
 
確かめたいと思うんだ
選んできた道のりが
本当に正しかったのか
誰もが頷いてくれんのか
 
従いて行くのに必死過ぎて
結局大事なもの失くしてた
追いかけてばかりだから
ペースメーカーにはなれない
 
だけど言いたい事がいくつもあったんだ
 
確かめたいと思うんだ
選んできた道のりと
よく似た生き方をした
記憶を物語る者を
 
失いたいと思っていた
許し難い事でした
 
朧気な決定事項
重くならなかったらなあ
 
羊飼いのなり損ないが
飼い慣らされ虚しく生きている記憶を
僕も物語るよ
 
確かめたいと思うんだ
選んできた道のりが
本当に正しかったのか
誰もが認めてくれるのか
 
そして救われたいな
考え過ぎて窶れた
僕の物語が
誰かにとっての参考になればと願うんだ

erupt

ファミレスの二階から
笑う人全てにイライラした
このままじゃまずい、気づいていて
その実 時間しか治せない傷
 
語ろうとした内容は
ほんの数十分で出尽くして
たったこれだけで何時間も
行ったり来たりしていたのか
 
言葉にならないところが痛むの
だから誰にも僕にさえも把握しきれない
 
報われるはずと耐えて
報われないことが抉る
何処に逃げ隠れたって
同じ空気を吸って暮らす
 
味方の無い気分になって
終わらせる気性も無くて
美しいと思ってた
想像以上に苦しかった裏
 
現実遮断しても
ふと思い出してしまうな
割り切れない不満から
戻したいものとは何だろうな
 
語ろうとした内容は
殆ど流水みたいだった
絵の具全部混ぜた様な
醜い色で廻った
 
納得出来ない事ではないのに
左と右の温度差には手を焼いているんだ
いつも
 
変わり続ける心を
相当厄介と言ってた
自分の事棚に上げて
身勝手なことばかりだな
 
鬩ぎ合う違う立場
何かを譲れない僕
呆れても 諦めても
トーリーは止まらないから
 
一番になりたい人 それに従う人
隷属には気付いたとして 都合は悪い
 
納得出来ない事ではないのに
気を利かせて優しくなって
貧乏くじ引かされて 空虚なんて
 
どうしてまだ立てるの?
何処で見返せるのだろう?
答えは無い
 
報われるはずと耐えて
報われないことが抉る
考えすぎて胸が痛む
思いやる価値などあるのか
 
味方の無い気分になった
見方も分からない世界
何度も思い出してしまう
忘れたい自己犠牲の傷
 
過大評価していた自分が傷

問題 古代①

第四紀の大半でおよそ260万~1万年前の氷河時代の事を地質年代で何というか

更新世

アウストラロピテクスやサヘラントロプスなどが属する最古の化石人類種を何というか

猿人

道具や火を使用した化石が見つかっている250~40万年前に生きていた化石人類を答えよ

原人

以前は旧人という呼称が盛んにつかわれていた、南ドイツの発見地に由来する名を冠する化石人類種を答えよ

ネアンデルタール人

更新世後期に日本各地に渡来した南方系のシカを何というか

オオツノジカ

更新世後期に朝鮮半島から渡来したパレオロクソドンの亜種を研究者の名をとって何というか また、この化石が出土した長野県の湖は?

ナウマンゾウ 野尻湖

ヘラジカと同時期にシベリアから渡来した大型のゾウの事を何というか

マンモス

現在の静岡県浜松市で発見された新人化石を何というか

浜北人

1968年、沖縄県で4体以上の新人化石が発見された。これを何というか

港川人

打製石器を主に使い、土器出現以前の主に狩猟採集をしていた時代を何というか

旧石器時代

岩宿遺跡を発見した人物を答えよ また、岩宿遺跡更新世期の赤土層から見つかった。この地層を何というか

相沢忠洋 関東ローム層

長さ数センチの小石器を記や骨などでつくった軸の側縁の溝に何本か並べて埋め込んで用いる組み合わせ型の石器を何というか

細石器

更新世以後現代までを含む地質年代を何というか

完新世

器面を平らにするため表面に撚り糸を転がした模様を持つ厚手で黒褐色の土器は、その縄文の見られない時期から大きく6つの変遷があったとされる。古いほうから順に答えよ

草創期・早期・前期・中期・後期・晩期

新石器時代に特徴的な石器は?

磨製石器

この時代より狩猟の時に使われだした遠距離武器を何というか

弓矢

動物の皮剥ぎなどに利用されたとされる薄手の打製石器を何というか

石匙

青森県にある縄文時代前中期の大規模集落遺跡を何というか

三内丸山遺跡

縄文時代に多くみられる住居は?

竪穴住居

黒色透明でガラス質を持つ、打製石器の製作に適した火成岩は?

黒曜石

香川県白峰山や近畿地方二上山に多産する玻璃質安山岩何という?

サヌカイト(讃岐石)

イニシエーションの意味を持つと推定される左右対称に犬歯や門歯を抜く風習を何というか

抜歯

死者の霊が災いをもたらすことを避けるために(か?)、四肢を折り曲げて埋める埋葬形式を何というか

屈葬

縄文晩期には、稲作が始まっていたとされる。それを示す佐賀県唐津市の遺跡を答えよ

菜畑遺跡

縄文晩期には、稲作が始まっていたとされる。それを示す福岡県福岡市の遺跡を答えよ

板付遺跡

弥生文化は縄文文化とは異なり、北海道や南西諸島には広がらなかった。北海道の文化、南西諸島の文化をそれぞれ何というか

続縄文文化 貝塚文化

弥生時代を通じて九州から関東地方に営まれた、濠で周りを囲んだ集落形態を何というか

環濠集落

弥生時代に広く使われていた煮炊き用の土器を何というか

貯蔵用の弥生土器は?

稲穂の穂先を摘み取る弥生時代の収穫方法と、それに使われた石器を答えよ

穂首刈り 石包丁

稲の保管などに使われた建物を何というか また、この建物の構造は静岡市南部の安倍川東岸にある弥生後期の遺跡の出土例から明らかとなった。この遺跡の名称を答えよ

高床倉庫 登呂遺跡

九州北部に多い、自然石の支柱の上に大きな平石を乗せた一種のドルメンを何というか

支石墓

近畿地方に始まり、次第に東西に広がったと考えられている低い墳丘の周りに溝を巡らした墓を何というか

方形周溝墓

九州北部で弥生中期以降盛んに見られる、土器の中に死者を埋葬する墓制を何というか

甕棺墓

山陰地方に見られる墳丘墓を何というか

四隅突出墳丘墓

岡山県倉敷市に存する、直径40メートル余りの円形の墳丘の両側に突出部を持つ墳丘墓を何というか

楯築墳丘墓

日本最古の環濠集落といわれる奈良県磯城郡田原本町の2地区の遺跡を何というか

唐古・鍵遺跡

佐賀県神埼郡にある日本屈指の大規模環濠集落で、物見櫓(楼観)が存する遺跡を何というか

吉野ヶ里遺跡

島根県出雲市に存する、大量の青銅製祭器がまとまって埋納されているのが発見されたこの遺跡を何というか

荒神谷遺跡

紀元前108年、前漢武帝が現在のピョンヤン付近に設置した四郡のひとつは何?

楽浪郡

上記の郡に定期的に使者を送っていたことや、倭が百余国に分裂していたことを記録している書物を何というか

漢書」地理志

57年に倭の名国の王の使者後漢の都に赴き、印綬を賜ったと記録されている。この記録書と当時の元号後漢の都と皇帝の名、及び使者が称した名と奴国王が授かったと思われる金印の出土地を答えよ

後漢書東夷伝 建武中元二年 洛陽 光武帝 大夫 志賀島

同じ書物には、107年に倭国王の一行が生口を献じたことが記録されている。この時の皇帝と倭国王の名前、及び献じた人数を答えよ

安帝 帥升 160人

桓帝霊帝の頃、倭国は大いに乱れたらしい。この頃盛んに見られる、香川県の瀬戸内海に突き出た山頂に築かれた紫雲山遺跡のような軍事的小集落を一般に何というか

高地性集落

204年頃、現在のソウル付近に、ピョンヤン付近にあった四郡の一つの南部を割譲して新設したのは?

帯方郡

邪馬台国の女王として記載されている巫女と、その記録書(大人・下戸などの身分差も記載あり)を答えよ

卑弥呼 「魏志倭人

卑弥呼使者帯方郡に送り、「親魏倭王」の称号や金印、多数の銅鏡などを送られた。この時派遣した遣いの名を答えよ また、これは西暦何年の事か?

難升米 239年

卑弥呼が晩年争った国は?

狗奴国

卑弥呼が無くなったのち、争いがおこったが卑弥呼の宗女が王となって漸くおさまったという。この女王の名と、この女王とみられる人物が266年に遣いを送った相手国は?

壱与(台与) 晋(首都洛陽)

ヤマト政権最初の王都と考えられている奈良県桜井市三輪山西麓の巨大遺跡で、近年、邪馬台国との関係が注目されているこの遺跡の名称を答えよ

纏向遺跡

奈良県桜井市にある出現期の前方後円墳として最大規模を誇る古墳は?

箸墓古墳

古墳が営まれた3世紀から7世紀までを、4世紀後半から5世紀末の、古墳が最大化した中期を中心に前・中・後期に区分しているこの時代を何というか

古墳時代

素焼の焼物で、古墳の表土に並べられ、形を象ったものは当時の風俗を知る好資料にもなり得るーこれを何というか

埴輪

その断面の形に由来する前期古墳の副葬品に多い鏡は?

三角縁神獣鏡

313年、楽浪郡を滅ぼした国を答えよ

高句麗

345年頃馬韓五十国余を統一してできた国家は?

百済

356年辰韓12国余を統一して成立した国は?

新羅

朝鮮半島南部の韓族の小国家群を何というか。また、その地に分立していた伽耶と呼ばれる小国家の総称を「日本書紀」では何と呼んでいるか

弁韓 任那

日本が朝鮮半島南部と交流を持った理由は何か?簡潔に答えよ

鉄資源の確保

369年百済王の太子が当時の倭王の為に作ったとする銘文が刻まれた七支刀を所蔵する神社を答えよ

石上神宮

辛抱の年とは西暦何年の事か? また、好太王碑文がある旧都の名をと碑文を立てた好太王(広開土王)の子の名も答えよ

391年 丸都 長寿王

全国で第2位の規模を持つ中期の古墳を答えよ また、それは誰の墓とされているか

誉田御廟山古墳 応神天皇

養蚕・機織を伝えたとされる泰氏の祖である渡来人を答えよ

弓月君

論語」と「千字文」を伝えた西文氏の祖である百済の博士を答えよ

王仁

東漢氏の祖である渡来人を答えよ

阿知使主

弥生土器の系譜を受け継ぎ古墳時代につくられた赤褐色の器を答えよ

土師器

朝鮮から渡来した新技術により、ろくろを使用し、のぼり窯で1000度以上の高温で焼成された灰色で硬質の土器を何というか

須恵器

渡来系の土器を専門に生産した工人集団を答えよ

陶作部

5世紀に朝鮮半島から伝わった、粘土などでつくられた煮炊き用の設備を何というか

かまど

最大の規模を持つ中期の古墳を答えよ また、それは誰の墓と考えられているか

大仙陵古墳 仁徳天皇

全国で第4位の規模を持ち、地方の豪族がヤマト政権と呼ばれる政治的な連合体で重要な位置を示す古墳を答えよ また、それは現在の何県にあるか

造山古墳 岡山県

478年に順帝に遣使・上表した倭王武に推定される天皇を答えよ また、倭の五王のうち済・興に推定されている天皇をそれぞれ答えよ

雄略天皇 允恭天皇安康天皇

上記の上表文が記載されている当時の中国王朝の歴史書の「蛮夷伝」倭国条を一般に何と呼んでいるか また、その書では478年を何年と表記しているか 

「宗書」倭国伝 昇明二年

ヤマト政権の支配が西国にも及んでいたことを示す鉄刀が見つかった古墳は?

江田船山古墳

ヤマト政権の支配が東国にも及んでいたことを示す鉄剣が見つかった古墳は?

稲荷山古墳

漢字を用いてヤマト政権に奉仕した渡来人の集団を何というか

史部

507年継体天皇を越の国から招いて皇位に就かせ、512年に任那四県を百済に割譲したことが遠因で後に失脚した人物を答えよ

大伴金村

513年段陽爾が渡来した。儒教を伝え「詩経」や「春秋」などを講義した彼の職業は何か?

五経博士

後期の多くの古墳で用いられた埋葬施設はそれまでのとは違い追葬が可能であった。前~中期までの施設と後期の施設、亦、後期のそれにおいて、遺体を安置する部屋とそこに通ずる通路をそれぞれ答えよ

竪穴式石室 横穴式石室 玄室 羨道

527年筑紫国造磐井が新羅と組んで反乱をおこし、翌年鎮圧された。この反乱を鎮圧した人物を答えよ

物部麁鹿火

磐井の墓と考えられている岩戸山古墳の表面に建てられたものがとくに有名な、石の埴輪を何というか

石人・石馬

後期の古墳では地域性が強まった。石造の埴輪もその一例である。これに関連して、九州各地に特に多く、茨城県福島県などにも見られるの彩色や線画が施された古墳を何というか

装飾古墳

6~7世紀、一定地域内に円墳など、規模の小さい古墳が多数集まって構築された古墳群を何というか

群集墳

終末期古墳を代表する、7世紀中ごろから近畿の大王が営んだとされる墓は?

八角

古墳時代の衣服は上下に分かれ、男女ともに上に筒袖の衣をつけていた。男性の乗馬ズボン風の衣装、女性のスカート風の衣装をそれぞれ答えよ

袴(男)・裳(女)

年の初めに五穀豊穣を祈る祭りを何というか

祈年祭

秋に収穫を感謝する祭りを何というか

新嘗祭

鹿の肩甲骨を焼いてそのひび割れの形で占うことを何というか

太占

熱湯に手を入れて、火傷の有無で真偽を確かめる原始的な神判の方法を何というか

盟神探湯

氏の間に伝えられた祖先神や氏を守るとされた守護神の事を一般に何というか

氏神

大王家の祖先神である太陽神を答えよ また、それを祀っている神社とその神社の建築様式を答えよ

天照大神 伊勢神宮 神明造

宗像大社沖津宮として海神がまつられ、出土品の貴重さ、豊富さから「海の正倉院」とも呼ばれる玄界灘の孤島は?

沖ノ島

三輪山を神体とし拝殿のみで本殿のない神社を答えよ

大神神社

その特徴的な建築様式は大社造と呼ばれる、大国主をまつる神社を答えよ

出雲大社

中央・地方の豪族を大王中心の支配体制に組み入れるためのヤマト政権の政治制度を何というか

氏姓制度

姓が与えられ、一定の政治上の地位を世襲した氏の首長を何というか

氏上

大王家から分かれたとされる皇族氏族に与えられ、蘇我・巨勢など多くは大和の地名を氏の名とした姓と、それらの豪族の中の最有力者が任じられた地位を答えよ

臣・大臣

大王家とは祖先の違う士族に与えられ、大伴・物部・中臣など多くは職能名を持った姓を何というか? また、それらの豪族の中の最有力者が任じられた地位を答えよ

連・大連

大王家から分かれた小氏や地方の有力豪族に与えられた姓を答えよ

君(公)

5~6世紀に服属した地域豪族などの一般豪族や渡来系の人々に与えられた姓は?

直(あたえ)

多くは地方豪族が任命され、現在の郡程度の地域を支配していたヤマト政権の地方官名を答えよ

国造

世襲的職業で朝廷に奉仕する官人の団体とそれを率いて朝廷に奉仕する首長を答えよ

伴・伴造

馬飼部や錦織部、韓鍛冶部など、それぞれの職能で朝廷に奉仕した部を何というか

品部

大王家や豪族に隷属して生産に従事した労働集団のうち、大王家やその一族の生活の資を貢納する人々を何というか

名代・子代

豪族の私有民を何というか また、彼らが耕作した豪族の私有地を何というか

部曲(かきべ)・田荘

磐井の乱の後に糟屋郡付近(福岡市付近)に置かれたものなどで知られる朝廷の直轄地を一般に何というか

屯倉

仏教の伝来の年は2説ある。538年と記載しているもの史料を二つ答えよ

「上宮聖徳法王帝説」・「元興寺縁起」

仏教伝来の年を552年と記載している史料を一つ答えよ

日本書紀

欽明朝の頃日本に経典と釈迦仏金銅像(ほか数点)を送った百済の王の名を答えよ

聖明王(聖王)

仏教は公伝する前から渡来人たちによって伝わり彼らも信仰していたとわかっている。「扶桑略記」に名が挙がっている私邸で仏像を礼拝した、鞍作鳥の祖父と伝えられる渡来人を答えよ

司馬達等

仏教伝来を巡っては崇仏論争が起きた。大伴金村を失脚させたことでも知られる排仏派の人物と、その人物と対立した崇仏派の中心人物を答えよ

物部尾輿(排仏派)・蘇我稲目(崇仏派)

欽明天皇のころに成立したとされる天皇皇位継承を中心とする古代の伝承・歴史などをまとめたものを何というか

帝紀

欽明天皇のころに成立したとされる国家の成立や皇権確立の自覚から述作された神話・歌謡をまとめたものを何というか

旧辞

562年、高句麗の南下に伴う百済の南遷などの要因で滅亡したのは

伽耶

蘇我氏は朝廷の財政(屯倉の経営)に関与したとされる。蘇我氏が管理したとされる斎蔵・内蔵・大蔵をまとめて何というか

三蔵

炊屋姫を皇后とした天皇を答えよ

敏達天皇

587年に崇仏派と排仏派の対立の延長としての有力豪族の間での争いがあった。これに勝利し権勢を確立した人物と滅ぼされた人物を答えよ

蘇我馬子(勝) 物部守屋(負)

別名を飛鳥寺という、588年に建立が開始された蘇我氏の氏寺は?

法興寺

589年南北朝を統一し成立した国を答えよ

587年の乱の後に擁立されて即位し、592年蘇我馬子手先の東漢直駒に暗殺された天皇を答えよ また、この事件の後に即位した天皇とその甥で摂政となった人物を答えよ

崇峻天皇 推古天皇 厩戸王(聖徳太子

593年に聖徳太子によって建立されたという、百済様とも言われるその特徴的な寺院の建物の配置様式でも知られる大阪市に所在する寺を答えよ また、寺院の建物の配置様式の事を何というか

四天王寺 伽藍配置

600年に最初の遣隋使が派遣された。この時の隋の元号と皇帝(「隋書」倭国伝中では「上」と表記)を答えよ

開皇二十年 文帝

602年、日本に暦法を伝えた百済の僧を答えよ

観勒

603年、泰河勝が京都太秦に建立したという半跏思惟像で有名な泰氏の氏寺は?

広隆寺

603年、冠位十二階が定められた。冠位十二階で大礼は第何位に当たるか

第5位

604年、憲法十七条が定められた。その第二条の文を「二に曰く、~」に続く形で答えよ

篤く三宝を敬へ

冠位十二階第三条において「承りては必ず謹め」とされているのは何?

詔(天皇の命令)

607年、遣隋使として隋にわたった人物と当時の隋の皇帝を答えよ

小野妹子 煬帝

607年は隋の元号では何年の事か

大業

法隆寺ともいう、607年聖徳太子が建立したと伝わる寺を答えよ

斑鳩

法隆寺の金堂や歩廊の柱に見られる柱の中央部のふくらみの事を何というか

エンタシス

607年に派遣した遣隋使の翌年の帰国に同行した隋の答礼使を答えよ また、無礼な国書に対し隋が寛容な態度をとった一因としてあげられる、当時隋と争っていた国を答えよ

裴世清 高句麗

上記の答礼使の帰国の際同行した中国・朝鮮に渡った学生を、南淵請安ら学問僧と区別してなんというか

留学生(るがくしょう)

610年渡来し、日本に彩色や紙・墨の技術を伝えたという人物とその出身国を答えよ

曇徴 高句麗

614年遣隋使として派遣され、後に第一回の遣唐使としても派遣された人物を答えよ

犬上御田鍬

618年に隋を滅ぼし成立した国を答えよ

聖徳太子蘇我馬子が編纂したという歴史書(現存せず)を二つ答えよ

天皇記」「国記」

現在法隆寺に隣接する、半跏思惟像で有名な尼寺を答えよ

中宮寺

法隆寺金堂釈迦三尊像をつくったとされる人物を答えよ また、法隆寺金堂釈迦三尊像の造像様式を何というか

鞍作鳥(止利仏師) 北魏様式

中宮寺に断片が残る、聖徳太子の死後、后の橘大郎女が彼が往生した先の有り様を写したという刺繍を答えよ

天寿国繍帳

透かし彫りの金具の下に玉虫の羽が飾られた厨子を答えよ また、それを保蔵しているのは?

法隆寺玉虫厨子 法隆寺斑鳩寺)

法隆寺夢殿救世観音像は秘仏であり、明治になって初めて調査された。この調査を行った、東大で哲学などを講義したアメリカ人を答えよ

フェノロサ

家綱より

1651

徳川家光死去

 

 

由井正雪の乱(慶安の変

末期養子の禁止を緩和

 

徳川家綱将軍に就任

保科正之が補佐

1654

隠元隆琦が明から来日 黄檗宗を伝える

本末制度に組み込まれた

 

土佐光起、朝廷絵師となる

 

1655

糸割符制度廃止 相対貿易となる

 

 

この頃、修学院離宮

 

 

山鹿素行「聖教要録」

 

1657

明暦の大火

 

 

徳川光圀、『大日本史』の編纂を開始

 

1659

道中奉行設置

五街道の道中一切の事務を管掌する

1661

最初の藩札が越前藩で発行される

藩札=諸藩、旗本領内で発行・通用した紙幣

1662

明が完全に滅亡する

 

 

伊藤仁斎、私塾「古義堂」を開く

 

1663

幕府、殉死を禁止(代替わりの武家諸法度

 

1665

徳川光圀、明から亡命した朱舜水を招く

 

 

大名人質の廃止

 

 

保科正之山崎闇斎を招く

垂加神道 谷時中=南学 野中兼山

 

諸宗寺院法度

 

 

諸社禰宜神主法度

公家の吉田家

1669

シャクシャインの戦い

商場知行制 場所請負制度に移行

1670

閑谷学校開校

郷学

 

林羅山林鵞峰「本朝通鑑」

 

1671

河村瑞賢、東廻り海運整備

 

1672

河村瑞賢、西廻り海運整備

 

 

江戸に彰考館設立

 

1673

分地制限令

田畑勝手作りの禁

 

越後屋呉服店江戸に開かれる

三井高利 呉服店 現金掛け値なし 両替商と兼業

 

北村季吟源氏物語湖月抄」

 

1674

関孝和「発微算法」

 

1680

徳川家綱が死去

治世の前半は保科正之、後半は酒井忠清

1682

勘定吟味役設置

 

 

井原西鶴好色一代男

関連:西山宗因 談林俳諧

1683

武家諸法度天和令

「文武弓馬の道」⇒「文武忠孝を励まし、礼儀を正すべきこと」

1684

服忌令

死や血を忌み嫌う風潮が生まれる

 

大老堀田正俊が暗殺される

側用人柳沢吉保が実権を握る

 

渋川春海(安井算哲)宣命暦を修正し貞享暦を編修

土御門家

1685

天文方の設置

渋川春海 貞享暦

 

住吉具慶、幕府御用絵師となる

住吉派 住吉如慶

 

生類憐みの令

 

 

糸割符制度復活

年間、銀換算でオランダ3000貫 清6000貫

1686

嘉助騒動

全藩一揆

1687

松尾芭蕉笈の小文

正風俳諧(蕉風俳諧

 

熊沢蕃山「大学或問」成立

 

 

井原西鶴「武道伝来記」

 

1688

井原西鶴「日本永代蔵」

 

 

唐人屋敷を設ける

清船の来航を制限

1689

歌学方に北村季吟が任命される

 

 

松尾芭蕉、奥州、北陸を巡る

奥の細道

1690

林信篤(鳳岡)が大学頭に任命される

聖堂学問所から湯島聖堂

 

契沖「万葉代匠記」

 

1692

井原西鶴世間胸算用

関連:菱川師宣見返り美人図」

1694

江戸に十組問屋(とくみといや)成立

同じころ、大坂に二十四組問屋成立

1695

元禄金銀の鋳造(貨幣改鋳)

勘定吟味役荻原重秀

 

西川如見「華夷通商考」

 

1697

宮崎安貞『農業全書』

関連:土井清良「清良記」

1702

新井白石「藩翰譜」

 

 

赤穂事件(1701~1702)

吉良義央浅野長矩

 

六義園完成

御成

1703

近松門左衛門曽根崎心中

竹本義太夫 辰松八郎兵衛

1707

富士山大噴火

 

 

伊藤仁斎が書き、伊藤東涯が校訂・清書した「童子問」刊行

 

1708

シドッチ、屋久島に潜入

 

1709

徳川家宣、将軍になる

朱子学者の新井白石側用人間部詮房 正徳の政治

 

荻生徂徠、私塾「蘐園塾」

 

 

貝原益軒「大和本草

 

1710

閑院宮家創設

 

1711

朝鮮使節の待遇を簡素化

日本大君殿下⇒日本国王

1712

新井白石「読史余論」なる

九変五変説

 

尾形乾山、作品を残す

琳派 尾形光琳 「紅白梅図屏風」「燕子花図屏風」「八橋蒔絵螺鈿硯箱」

1713

「采覧異言」

 

1714

正徳小判

慶長金銀と同質

1715

海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)

長崎貿易で多くの金銀が流出したため、貿易を制限しようとした

 

近松門左衛門「国姓爺合戦」

関連:江戸―市川団十郎(荒事) 上方―坂田藤十郎(和事)、芳沢あやめ(女形

 

この頃、「西洋紀聞」完成

 

1716

徳川吉宗将軍就任 享保の改革始まる

御用取次新設

 

この頃、新井白石折たく柴の記

 

1717

大岡忠助を江戸町奉行に取り立てる

 

1719

相対済し令

 

 

毛利吉元、萩に藩校「明倫館」

 

1720

江戸町火消設置

 

 

漢訳洋書輸入の緩和

 

1721

目安箱を評定所前に設置

 

 

田中丘隅、『民間省要』を成立させる

地方書

1722

荻生徂徠『政談』、吉宗の諮問にあずかり始める

室鳩巣『六諭衍義大意』 (儒学の奨励)

 

上げ米を実施

 

 

定免法を導入

 

 

小石川養成所をつくる

 

1723

足高の制

 

1724

懐徳堂

 

1728

荷田春満、将軍吉宗に国学の学校の創設を建言

 

1729

太宰春台「経済録」

 

 

「女大学」最古の版

 

1730

堂島米市場を公認

株仲間結成を公認

1731

徳川宗武、田安家を興す

三卿

1732

享保の飢饉

西日本一帯 長雨 うんか

1733

青木昆陽が幕府に登用される

甘藷の普及

1738

元文一揆

全藩一揆 陸奥磐城平藩

 

銅座の設置

 

1739

石田梅岩「都鄙問答」

心学 手島堵庵 中沢道二

1740

徳川宗尹、一橋家を興す

三卿

1741

オランダ語青木昆陽、野呂元丈に学ばせる

蘭学隆盛の基盤

1742

公事方御定書

 

1745

徳川家重将軍に就任

 

 

富永仲基「出定後語」

 

1748

竹田出雲「仮名手本忠臣蔵

近松半二(天明期)

1753

安藤昌益「自然真営道」

 

1755

細川重賢が藩校・時習館を創建

人材育成の姿勢が他藩の模範となる

1758

宝暦事件

竹内式部 尊王派の処分

 

徳川重好、清水家を興す

三卿

1759

山脇東洋「蔵志」

腑分け

 

山県大弐「柳子新論」成立

 

1760

徳川家治将軍就任

 

1762

後桜町天皇即位

最後の女性天皇

1763

朝鮮人参座の設置

幕府、朝鮮人参の専売権を握る

1765

賀茂真淵「国意考」成立

 

 

柄井川柳「誹風柳多留」

 

1766

いったん廃止されていた銅座の再置

 

1767

明和事件

山県大弐 尊王斥覇 江戸 死刑

 

田沼時代(~1786)

運上 冥加 賄賂政治 株仲間の積極的公認 長崎貿易推奨 専売制

 

この頃、鈴木春信活躍(「五常」)

錦絵

1771

池大雅、蕪村「十便十宜図」

 

1772

南鐐二朱銀の鋳造

 

1773

ジョン=ケイ、飛び杼を発明

 

1774

「解体新書」

前野良沢 杉田玄白 挿絵小田野直武

1775

黄表紙作家、恋川春町金々先生栄花夢」刊行

 

1776

上杉治憲が藩校・興譲館を復興

 

 

平賀源内、エレキテルの実験

 

 

読本作家上田秋成雨月物語

 

1779

桃園天皇が急死し、閑院宮家より光格天皇が即位

 

1781

『赤蝦夷風説考』成立 後に田沼意次に献上

工藤平助 只野真葛

1782

(~1773)天明飢饉

 

1783

浅間山の噴火

 

1784

田沼意知暗殺

佐野政言 世直し台明神

 

司馬江漢「不忍池図」

銅版画

1785

最上徳内らの蝦夷地探検

国後 択捉 得撫

1786

徳川家治死去 田沼意次失脚

印旛沼手賀沼の干拓失敗 ロシアとの交易計画立ち消え

 

『三国通覧図説』刊行

林子平 地理書 朝鮮・琉球蝦夷

 

徳川家斉将軍に

 

 

大槻玄沢、芝蘭堂

 

1787

天明の打ちこわし

 

 

この後、寛政の改革

全国的な囲米=義倉、社倉を各地につくらせる

1788

大槻玄沢蘭学階梯」

 

 

中井竹山(懐徳堂学頭)、松平定信に意見書「草茅危言」を献じる

 

1789

クナシリ・メナシの戦い

この年、フランス革命

 

黄表紙作家の恋川春町が弾圧を受ける

 

 

(~1793)実父である閑院宮典仁親王光格天皇上皇の称号を送ろうとする

1793年までのこの問題を尊号事件(尊号一件)という

 

佐竹義和(よしまさ)が藩校・明徳館を創建

 

 

棄捐令

6年以前の借金帳消し 以後のものは低利返済

1790

人足寄場の設置

石川島

 

七分積金

2年後に江戸町会所を設置しそこで積立金の保管

 

寛政異学の禁

儒学者柴野栗山らの提案 湯島聖堂以外での朱子学以外の教授禁止

1791

『海国兵談』刊行

林子平は翌年禁固刑に 著書は発禁処分

 

「仕懸文庫」について洒落本作家の山東京伝、出版元の蔦屋重三郎が弾圧される

耕書堂

1792

ラクスマン根室に来航

エカチェリーナ2世 大黒屋光太夫

1793

(1789~)尊号一件

公家を処分 松平定信失脚

 

高山彦九郎自殺(寛政の三奇人)

関連;蒲生君平 頼山陽

 

宇田川玄随「西説内科撰要」

 

 

塙保己一、和学講談所

 

1794

桂川甫周が『北槎聞略』を記す

大黒屋光太夫の漂流記

 

この頃より、亜欧堂田善の活動

 

 

(~1795)東洲斎写楽の活躍

大首絵 関連;喜多川歌麿「当時全盛美人揃」

1796

稲村三伯「ハルマ和解」

 

1797

昌平坂学問所

寛政の三博士(柴野栗山 尾藤二洲 岡田寒泉⇒古賀精里)

 

高橋至時「寛政暦」(~1844)

 

1798

近藤重蔵・最上徳内らによる択捉島の探検

「大日本恵登呂府」の標柱

 

本居宣長古事記伝」完成

 

 

本多利明「経世秘策」

 

1799

幕府、東蝦夷地直轄化

 

1800

八王子千人同心の入植

 

 

伊能忠敬が測量開始(~1816)

大日本沿海輿地全図

1801

志筑忠雄『鎖国論』

ドイツ人医師ケンペルの『日本誌』の和訳

1802

志筑忠雄「暦象新書」

 

 

(~1822)十返舎一九東海道中膝栗毛

 

1804

レザノフ、長崎に来航

択捉・樺太が砲撃にあう

1805

関東取締出役

関東の治安維持強化の為

1807

西蝦夷地の直轄化 松前奉行設置

 

1808

間宮林蔵樺太探検

樺太が島であることを発見

 

フェートン号事件

松平康英引責自害 長崎警備担当佐賀藩にも処分

1811

ゴローウニン事件

 

 

蛮書和解御用設置

 

 

朝鮮通信使を江戸ではなく対馬で、とする

 

1812

淡路の商人高田屋嘉兵衛、ゴロウーニンと同じく国後島で捕えられる

 

1813

拘留されていた高田屋嘉兵衛の尽力でゴロウーニン釈放

 

 

海保青陵「稽古談」

 

 

(1809~1813)式亭三馬浮世風呂

 

1814

(~1844)曲亭馬琴南総里見八犬伝

 

1815

杉田玄白蘭学事始

 

1817

広瀬淡窓、咸宜園

 

1819

塙保己一群書類従」(正編)完成

続編は保己一死後の1822年完成

1820

山片蟠桃「夢の代」

 

1821

蝦夷地を松前藩に還付

 

 

伊能忠敬(1745~1818)「大日本沿海輿地全図

 

1822

大蔵永常「農具便利論」

 

1824

シーボルト鳴滝塾

 

1825

異国船打払令

 

 

会沢安『新論』発表

藤田幽谷 藤田東湖 尊王(攘夷)論

 

鶴屋南北東海道四谷怪談」

 

1827

寄場組合

農村秩序の維持

 

佐藤信淵「経済要録」

 

 

薩摩藩調所広郷による改革

黒砂糖の専売など

1828

シーボルト事件

高橋景保処罰

1829

(~1842)柳亭種彦偐紫田舎源氏

 

1831

この頃、報徳仕法広まる

二宮尊徳

 

この頃、葛飾北斎富嶽三十六景」

 

1832

(~1836)天保の飢饉

特に1832~1833が全国規模で凶作

 

人情本作家為永春水春色梅児誉美

 

 

シーボルト、ヨーロッパで「日本」を随時刊行

 

1833

歌川広重東海道五十三次

 

1835

鈴木牧之「北越雪譜」(初版)

 

1836

甲斐にて郡内騒動(郡内一揆

ともに天領で発生

 

三河にて加茂一揆

 

1837

アメリカ商船モリソン号が浦賀に来訪

 

 

大塩の乱

大塩平八郎 陽明学 大坂町奉行元与力 洗心堂 『出潮引汐奸賊聞集記』

 

渡部崋山「鷹見泉石像」

 

 

生田万の乱

国学者 越後柏崎

 

徳川家慶将軍になる

 

1838

『戊戌夢物語』『慎機論』

高野長英 渡部崋山 尚歯会

 

村田清風による長州藩改革

越荷方設置 紙・蝋の専売

 

大原幽学が先祖株組合(日本初の農業組合)をつくる

性学

 

緒方洪庵、適々斎塾(適塾

 

 

中山みき天理教

 

1839

蛮社の獄

 

1840

三方領知替え

川越藩 庄内藩 長岡藩

1841

徳川斉昭、藩校弘道館創設

 

 

水野忠邦による天保の改革

倹約令 風俗取締令 棄捐令

 

株仲間解散令

 

1842

アヘン戦争の結果として、南京条約を清がイギリスと締結

日本への影響として、天保の薪水給与令

1843

人返しの法

 

 

弾圧を受け人情本作家の為永春水が死去

 

 

上知令

これが原因で水野忠邦失脚

1844

オランダ国王ウィレム2世が日本に開国勧告

 

 

大蔵永常「広益国産考」

 

1846

アメリカのビッドルが通商を要求

 

1850

鍋島直正反射炉を備えた大砲製造所をつくる

 

1852

鍋島直正、均田制を実施

 

 

島津斉彬、鹿児島に反射炉を築造

反射炉やガラス工場などの工場群を集成館という

1853

ペリー、サスケハナ号(黒船・蒸気軍艦)に乗って浦賀に来航

フィルモア大統領からの国書

 

ロシアのプチャーチン、長崎に来航

 

 

江川太郎左衛門、伊豆韮山反射炉建造

 

 

老中首座阿部正弘、諸大名や幕臣に意見を求め、朝廷にも報告

朝廷の権威を高め、諸大名の発言力を高めた⇒安政の改革

1854

日米和親条約

アメリカに最恵国待遇 下田・箱館開港

 

日英和親条約

片務的最恵国待遇を認める

 

日露和親条約

下田にて 択捉以南を日本領 樺太は両国人雑居 長崎も開港 川路聖謨

1855

日蘭和親条約

長崎でのオランダ人の交易を自由化

1856

初代アメリカ駐日総領事としてハリスが下田に着任

オランダ人通訳ヒュースケン(1860年暗殺)

 

(~1858)アロー戦争

この頃『通航一覧続輯』(オランダ国王の開国勧告を収めている)完成する

1857

老中首座堀田正睦がハリスと交渉にあたる

 

1858

アロー戦争終結

天津条約結ばれる

 

日米修好通商条約

孝明天皇の勅許は得られないまま 大老井伊直弼 井上清直 岩瀬忠震

 

 

自由貿易 居留地・外国人の国内旅行禁止 治外法権 別冊貿易章程に関

 

 

税自主権の欠如(2国間での協議関税) 安政の五カ国条約(米蘭露英仏)

 

安政の大獄始まる

徳川家茂徳川慶福) 一橋慶喜 徳川斉昭 島津斉彬 松平慶永(春嶽)

 

 

橋本佐内 伊達宗城 山内容堂 一橋派vs南紀派 尊王攘夷 吉田松陰 

1859

長崎・箱館・横浜(神奈川)で銀貨を用いた貿易始まる

下田は閉鎖 輸出超過 銀貨の交換比率が原因で金貨流出 英と最多取引

1860

新見正興ら渡米

福沢諭吉 勝海舟 咸臨丸

 

桜田門外の変

井伊直弼暗殺

 

五品江戸廻送令

 

 

万延貨幣改鋳

 

1861

和宮、江戸降嫁

有栖川宮熾仁親王

1862

坂下門外の変

安藤信正失脚 水戸藩藩士が襲撃

 

蕃書調所を洋書調所と改称

 

 

文久の改革

島津久光の要請 徳川慶喜将軍後見職 松平慶永(春嶽)-政事総裁職

 

生麦事件

島津久光 イギリス人殺傷

 

松平容保京都守護職に 参勤交代を緩和

新撰組 近藤勇 土方歳三

1863

長州藩外国船砲撃事件

下関 5月10日 幕府命令

 

薩英戦争

生麦事件の報復 鹿児島湾

 

八月十八日の政変

七卿落ち 三条実美など

 

洋書調所を開成所と改称

 

1864

池田屋事件

 

 

禁門の変蛤御門の変

 

 

第一次長州征討(7月~12月)

 

8

四国艦隊下関砲撃事件

イギリスを中心にアメリカ、フランス、オランダ

 

福沢諭吉「西洋事情」刊

 

1865

長州再征討勅許

高杉晋作 奇兵隊 藩論転換(幕府恭順⇒討幕) 大村益次郎 桂小五郎

 

条約勅許(兵庫開港は不許可)

 

1866

薩長同盟薩長連合)

坂本龍馬 中岡慎太郎 

 

改税約書調印

 

 

第二次長州征討

 

 

家茂急死

長州征討中止

 

徳川慶喜征夷大将軍・内大臣に就任 孝明天皇急死

 

 

福沢諭吉「西洋事情」刊

 

1867

兵庫開港勅許

 

 

「ええじゃないか」おこる

 

 

後藤象二郎、山内豊信(容堂)を通して大政奉還の建白書を幕府に提出

 

 

徳川慶喜大政奉還の上表を朝廷に提出

同日(10月14日)、討幕の密勅

 

王政復古の大号令(12月9日)

将軍・摂政・関白廃止 総裁・議定・参与を新設

 

12月9日夜、小御所会議

徳川慶喜に辞官納地

1868

鳥羽・伏見の戦い

戊辰戦争開始(68.1~69.5) 徳川慶喜征討

 

相良総三処刑

赤報隊

 

五カ条の誓文

開国和親 公議世論の尊重 由利公正・福岡孝弟起草 木戸孝允修正

 

五榜の掲示

旧幕府の方針継続(キリスト教禁止⇒浦上教徒弾圧事件(閏四月))

 

神仏分離令

廃仏毀釈おこる 島地黙雷

 

江戸城無血開城

勝海舟 西郷隆盛

 

慶応義塾

福沢諭吉

 

政体書

太政官 三権分立 議政官(立法機関)

 

奥羽列藩同盟成立

同年9月、会津若松城落城

 

太政官札発行

不換紙幣

 

11月3日を天長節と定める

 

 

明治改元 一世一元の制

 

1869

薩長土肥四藩版籍奉還を上表

 

 

榎本武揚降伏

 

 

新政府、全ての藩に版籍奉還を命ずる

 

 

開拓使設置

本庁東京

 

本木昌造、鉛製活字の量産技術導入に成功

 

1870

大教宣布の詔

 

 

岩崎弥太郎、九十九商会(後の三菱:郵便汽船三菱会社)設立

 

 

工部省設置

 

 

「横浜毎日新聞」創刊

 

1871

郵便制

前島密

 

御新兵の編成

 

 

仮名垣魯文安愚楽鍋

戯作文学

 

新貨条例

 

 

廃藩置県(府知事・県令の設置)

太政官制改正 正院・左院・右院の設置(三院制)

 

日清修好条規

対等条約 2年後に批准

 

鎮台を設置

熊本 仙台 東京 大阪

 

熊本洋学校開校

ジェーンズ

 

(府知事・県令の設置)

 

 

琉球漂流民殺害事件

 

 

中村正直訳「西国立志編」刊

スマイルズ

 

中村正直訳「自由之理」

J.S.ミル

 

岩倉使節団派遣

岩倉具視(大使)・大久保利通伊藤博文・山口尚芳・木戸孝允津田梅子

1872

壬申戸籍

 

 

田畑永代売買の解禁

 

 

福沢諭吉「学問のすゝめ」刊

 

 

地券発行

 

 

学制公布

「被仰出書」 全国8大学区 各区に大学校1、中学校32、小学校210

 

新橋~横浜間に鉄道

 

 

琉球藩設置

尚泰藩王とする

 

富岡製糸場操業開始

フランス式 ブリューナ 器械製糸(座繰製糸がこの頃から衰退)

 

国立銀行条例

渋沢栄一

 

徴兵告諭

血税一揆

 

太陽暦採用(12月3日⇒1月1日)

 

1873

天長節紀元節を定める(それぞれ11月3日、2月11日)

 

 

徴兵令

大村益次郎 山県有朋

 

キリスト教禁止の高札撤廃

 

 

第一国立銀行設立

第百五十三国立銀行までつくられる

 

地租改正条例

収穫高⇒地価 物納⇒金納 地券所有者が納税者

 

明六社設立

森有礼福沢諭吉加藤弘之西周西村茂樹中村正直etc

 

明治六年の政変

征韓論 西郷隆盛 板垣退助 江藤新平 副島種臣

 

内務省設置

 

 

秩禄奉還の法

 

1874

愛国公党設立

板垣退助 後藤象二郎

 

警視庁設置

 

 

民撰議院設立の建白書

左院 有司専制を批判 「日新真事誌」 ブラック

 

佐賀の乱

江藤新平

 

立志社

片岡健吉 板垣退助

 

台湾出兵(征台の役)

 

 

屯田兵制度

士族授産

1875

大阪会議

大久保利通 板垣退助 木戸孝允

 

愛国社

 

 

漸次立憲政体樹立の詔

 

 

元老院(立法諮問機関) 大審院最高裁判所) 地方官会議(府知事・県令)設置

 

 

樺太・千島交換条約

 

 

讒謗律・新聞紙条例

 

 

福沢諭吉文明論之概略

 

 

江華島事件

 

 

同志社

新島襄

1876

日朝修好条規(江華条約)

釜山・仁川・元山の開港

 

廃刀令

 

 

ベルツ来日

ベルツの日記 東京医学校⇒帝大

 

金禄公債証書

秩禄処分

 

札幌農学校

クラーク

 

小笠原諸島統治再開

 

 

敬神党(神風連)の乱

熊本鎮台襲撃

 

秋月の乱

 

 

萩の乱

前原一誠

 

工部美術学校

工部省 フォンタネージ

1877

地租税率引き下げ(3%⇒2.5%)

 

 

西南戦争

西郷隆盛 田原坂の戦い

 

東京大学設置

 

 

立志社建白

片岡健吉

 

第一回内国勧業博覧会

大久保利通の主導 臥雲辰致のガラ紡に最高賞

 

西南戦争終結(西郷隆盛敗死)

 

 

田口卯吉「日本開化小史」

 

 

モース、大森貝塚発掘に着手

関連;ヘボン ナウマン

 

この頃、高橋由一「鮭」

 

1878

大久保利通内務卿暗殺(紀尾井坂の変)

 

 

地方三新法

郡区町村編制法 府県会規則 地方税規則

 

寺島宗則、関税自主権回復の交渉

アメリカとはほぼ成功するも、英独の反対で無効に

1879

沖縄県設置(琉球処分

関連;奈良原繁 謝花昇

 

教育令

アメリカ式

1880

横浜正金銀行

 

 

国会期成同盟

79年末の愛国社第三回大会に基づき

 

集会条例

 

 

工場払下げ概則

大蔵卿大隈重信 インフレ

 

唱歌教育始まる

伊沢修二

1881

交詢社「私擬憲法案」

福沢系

 

開拓使官有物払下げ事件

黒田清隆 関西貿易社 五代友厚

 

植木枝盛東洋大日本国国権按」

 

 

明治十四年の政変

大隈重信罷免

 

国会開設の勅諭

欽定憲法

 

松方財政

デフレ政策 全国的不況 自作農が小作農に転落 寄生地主 小作料は現物納

 

自由党結成

党首板垣退助

 

日本鉄道会社

華族主体

 

「五日市憲法草案」

千葉卓三郎

1882

開拓使廃止

札幌・函館・根室の三県を置く

 

中江兆民民約訳解

ルソー「社会契約論」

 

伊藤博文らを欧州に派遣

ベルリン大学のグナイスト ウィーン大学のシュタイン ドイツ流憲法

 

立憲改進党結成

首大隈重信

 

立憲帝政党結成

福地源一郎 1883年解党

 

大阪紡績会社(翌年開業)

渋沢栄一 イギリス製の最新式紡績機械

 

日本銀行設立

 

 

壬午軍乱

閔妃 大院君

 

東京専門学校

大隈重信

 

加藤弘之「人権新説」

社会進化論 植木枝盛「天賦人権弁」 馬場辰猪「天賦人権論」

 

板垣退助後藤象二郎洋行

三井からの資金 三菱と大隈の癒着

 

福島事件

三島通庸 河野広中

1883

鹿鳴館

井上馨 欧化主義 鹿鳴館外交

 

田中舘愛橘、地磁気の測定

 

 

矢野龍溪経国美談

政治小説

1884

華族

 

 

加波山事件

 

 

秩父事件

困民党

 

甲申事変

金玉均 独立党

 

この頃から官営事業払下げ始まる

政商(後に財閥となる基盤ができた)

1885

尾崎紅葉ら、硯友社を結成

「我楽多文庫」

 

「脱亜論」

福沢諭吉 「時事新報」

 

天津条約

伊藤博文 李鴻章

 

政府紙幣の銀兌換始まる(銀本位制)

 

 

日本郵船会社

三井と三菱の合併

 

坪内逍遥小説神髄」で言文一致体を提唱

 

 

大阪事件

大井憲太郎 

 

内閣制度

国務大臣 内大臣 宮内省

1886

三県を廃止し北海道庁を設ける

 

 

学校令

森有礼 教科書検定制(義務教育)

 

ノルマントン号事件

イギリス

 

この年末頃から憲法草案作成

伊藤博文 伊東巳代治 井上毅 金子堅太郎 ロエスレル

1887

大同団結運動

後藤象二郎 星亨

 

民友社「国民之友」

徳富蘇峰 平民的欧化主義

 

ビゴー「トバエ」

 

 

井上馨、外相辞任

内地雑居を認め、領事裁判権を原則撤廃

 

東京美術学校設立

西洋美術を除外 岡倉天心 フェノロサ 狩野芳崖 橋本雅邦(「龍虎図」)

 

東京音楽学校

伊沢修二 滝廉太郎

 

三大事件建白運動

地租軽減 言論・集会の自由 外交失策の回復

 

保安条例

 

 

三菱長崎造船所

 

 

牧野富太郎、植物の分類法

 

 

二葉亭四迷浮雲

 

1888

市制・町村制

山県有朋 モッセ

 

枢密院設置

初代議長伊藤博文 天皇の諮問機関 憲法作成

 

政教社「日本人」

三宅雪嶺 志賀重昂 近代的民族主義

 

「日本人」が高島炭鉱の惨状を報じる

 

 

狩野芳崖「悲母観音」

 

1889

2月11日、大日本帝国憲法発布

天皇大権 統帥権の独立 貴族院 衆議院 臣民の権利

 

皇室典範

 

 

黒田清隆首相、超然主義を表明

 

 

陸羯南「日本」

近代的民族主義

 

「ロンドン=タイムズ」が大隈重信外相の条約改正案を掲載し論評

大審院への外国人判事の任用を認める

 

民法典論争

穂積八束民法出デゝ、忠孝滅ブ」 関連;戸主権 家制度

 

浅井忠ら、明治美術会

収穫

 

東海道線全通(東京・神戸間)

この年には、民営鉄道の数が官営を上回っていた

 

防穀令

 

 

大隈重信遭難

玄洋社 来島恒喜 頭山満

1890

第一回衆議院議員総選挙

満二十五歳以上 直接国税15円以上 被選挙人は三十歳以上で税条件は同じ

 

教育勅語

 

 

尋常小学校の義務教育法体系化(だいたい4年)

義務教育期間授業料廃止

 

民法公布

ボアソナード

 

第一回帝国議会

吏党 民党171(立憲自由党130、立憲改進党41) 政費節減 民力休養 利益線  自由党員買収

 

森鴎外舞姫

 

 

この年、綿糸の生産量が輸入量を上回る

 

1891

内村鑑三不敬事件

 

 

大津事件

青木周蔵引責辞任 津田三蔵 ロシア皇太子ニコライ 児島惟謙

 

幸田露伴五重塔

 

 

足尾鉱毒事件

田中正造 渡良瀬川 古川市兵衛

 

川上音二郎壮士芝居をおこす

新派劇

1892

久米邦武、辞職

 

 

第二回臨時総選挙

内大臣品川弥二郎の選挙干渉

 

「万朝報」創刊

 

 

黒田清輝「読書」

 

 

この年、義務教育の就学率が90%を超える

 

 

この年、蹴上水力発電所が開業し、電力事業勃興

琵琶湖疏水 水力発電

1893

北村透谷ら「文学界」

 

 

第五議会

改進党などが国民協会と連合(対外硬派)

 

高村光雲「老猿」

 

1894

甲午農民戦争(東学の乱)

 

 

日英通商航海条約

陸奥宗光 領事裁判権撤廃 相互対等最恵国待遇

 

日清戦争

遼東半島

 

北里柴三郎ペスト菌を発見

 

1895

高山樗牛「太陽」

日本主義

 

樋口一葉たけくらべ

 

 

下関条約

伊藤博文 陸奥宗光 李鴻章 清、朝鮮の独立を認める 遼東半島 澎湖諸島 開港

 

三国干渉

ロシア フランス ドイツ 遼東半島返還 「臥薪嘗胆」

 

台湾支配

初代台湾総督樺山資紀 1898以降、後藤新平

 

閔妃殺害事件

三浦梧桜 大院君の親日政権 高宗の新露政権

 

この頃、「団菊左時代」

 

1896

日本銀行本店竣工

辰野金吾

 

進歩党結成

 

 

航海奨励法・造船奨励法公布

 

 

白馬会

黒田清輝

1897

ホトトギス

正岡子規

 

貨幣法

金本位制 2億両(約3億円)の賠償金を元手に

 

京都帝国大学

1907東北 1910九州

 

労働組合期成会

高野房太郎 片山潜

 

朝鮮、大韓帝国(韓国)と国号を改める

 

 

豊田佐吉、小型の国産力織機を発明

 

 

志賀潔赤痢菌を発見

 

 

黒田清輝「湖畔」

 

 

横山大観「無我」

 

 

この年、綿糸の輸出量が輸入量を上回る

よって、綿糸ではなく原料たる綿花を多く輸入するようになる(1899、教科書p302)

 

尾崎紅葉金色夜叉

 

1898

ドイツ、膠州湾を租借

 

 

ロシア、遼東半島の旅順・大連を租借

 

 

憲政党結成 隈板内閣成立

はじめての政党内閣

 

イギリス、九龍半島・威海衛を租借

 

 

尾崎行雄、共和演説事件

憲政党分裂

 

日本美術院

岡倉天心

 

徳富蘆花「不如帰」

 

 

この頃、大森房吉、地震計を発明

 

1899

中央公論」創刊

 

 

文官任用令改正

第2次山県内閣

 

北海道旧土人保護法

関連;アイヌ文化振興法(平成9年)

 

横山源之助「日本之下層社会」

 

 

日英通商航海条約など改正条約を発効

青木周蔵

 

ジョン=ヘイ、門戸開放・機会均等を列国に提案

 

 

フランス、広州湾を租借

 

1900

義和団事件

 

 

治安警察法

 

 

与謝野鉄幹「明星」

ロマン主義

 

軍部大臣現役武官制

 

 

北清事変

 

 

立憲政友会結成

 

 

津田梅子、女子英学塾をつくる

 

 

高峰譲吉、アドレナリンを抽出

 

 

この頃、長岡半太郎の原子構造の研究

 

1901

官営八幡製鉄所操業開始

ドイツの技術 大冶鉄山 筑豊炭田

 

ニコライ堂竣工

コンドル

 

国木田独歩「武蔵野」

 

 

社会民主党

治安警察法

 

第1次桂太郎内閣

桂園時代 元老

 

与謝野晶子「みだれ髪」

 

 

北京議定書

 

 

田中正造明治天皇足尾銅山鉱毒事件を直訴

幸徳秋水

1902

日英同盟協約(日露同盟)

 

 

木村栄、緯度変化のZ項の発見

 

1903

農商務省編「職工事情」

関連;工女(女工) 山本茂実あゝ野麦峠

 

国定教科書

 

 

七博士意見書

戸水寛人

 

平民社結成『平民新聞』創刊

幸徳秋水 堺利彦

1904

日露戦争

 

 

英仏協商

 

 

与謝野晶子「君死にたまふこと勿れ」

『明星』

 

青木繁「海の幸」

 

1905

夏目漱石吾輩は猫である

 

 

日本海海戦

バルチック艦隊

 

桂=タフト協定

 

 

ポーツマス条約

セオドア=ローズヴェルト 小村寿太郎 ウィッテ 北緯50度以南のサハリン(樺太) 韓国

 

日比谷焼打ち事件

戒厳令

 

上田敏海潮音

 

 

第2次日韓協約

外交権奪う

1906

日本社会党

 

 

統監府

伊藤博文

 

西園寺公望内閣

鉄道国有法(この頃には、青森~下関が連絡されていた)

 

島崎藤村「破戒」

 

 

夏目漱石坊っちゃん」「草枕

 

 

池貝鉄工所

工作機械(機械をつくる機械)

 

関東都督府

 

 

南満州鉄道株式会社(満鉄)

 

1907

日本社会党解党

 

 

小学校令改正

義務教育が6年間に延長

 

帝国国防方針決議

八・八艦隊

 

ハーグ密使事件

 

 

第3次日韓協約

義兵運動本格化(韓国軍が8月に解散させられたため)

 

日露協約

第1次(07)~第4次(16)

 

英露協商

先の露仏同盟、英仏協商と併せて三国協商 三国同盟(1882年)と対立

 

田山花袋「蒲団」

 

 

文部省美術展覧会(文展

 

 

日本製鋼所

民間の製鋼会社 室蘭

 

荻原守衛「坑夫」

ロダン

 

この年、小学校の就学率が97%を超える

 

1908

戊申詔書

第2次桂内閣 勤倹節約 皇室尊重

 

東洋拓殖株式会社設立

 

1909

小山内薫自由劇場を創立

 

 

地方改良運動

 

 

伊藤博文、暗殺

ハルビン 安重根

 

三井合名会社

持株会社

 

この年、迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)竣工

山東

 

この年、日本は清を抜いて世界最大の生糸輸出国となる

アメリカ向け(日露戦争以後)

1910

武者小路実篤ら「白樺」創刊

人道主義・理想主義

 

大逆事件

幸徳秋水 警視庁特別高等課(特高

 

韓国併合条約締結

韓国併合

 

朝鮮総督府設置

土地調査事業 寺内正毅

 

石川啄木「一握の砂」

 

 

鈴木梅太郎オリザニン(ビタミンB1)を報告

 

1911

西田幾多郎善の研究

 

 

関税自主権回復

小村寿太郎

 

工場法公布

 

 

第二次西園寺公望内閣組閣

立憲政友会

 

青鞜

平塚らいてう(平塚明)

 

辛亥革命

孫文

1912

中華民国成立

袁世凱

 

清朝滅亡

宣統帝退位

 

美濃部達吉憲法講話」

天皇機関説

 

大正天皇即位

内大臣兼侍従長桂太郎

 

友愛会

鈴木文治

 

上原勇作陸相天皇に単独で辞表を提出

2個師団増設案が閣議で否決されたため 西園寺内閣総辞職

 

第一次護憲運動

「閥族打破・憲政擁護」 尾崎行雄 犬養毅

1913

大正政変

桂内閣総辞職

 

中里介山大菩薩峠

 

 

この頃、柳田国男民俗学

常民

1914

ジーメンス事件

山本権兵衛内閣総辞職

 

東京駅

辰野金吾 東京中央停車場

 

宝塚少女歌劇団

 

 

第二次大隈重信内閣発足

立憲同志会

 

第一次世界大戦(~1918)

サライェヴォ事件 バルカン半島 「ヨーロッパの火薬庫」 日本、輸出超過を迎える

 

日本美術院再興

院展 横山大観

 

二科会

 

 

ドイツ領南洋諸島を占領

大戦に参戦 加藤高明外相

 

青島と山東省の権益を接収

 

1915

袁世凱政府に二十一カ条の要求

5月9日これを承認(国恥記念日)

 

芥川龍之介羅生門

新思潮派

1916

吉野作造民本主義を提唱

中央公論」(教科書p324)

 

永井荷風「腕くらべ」

耽美的 関連;谷崎潤一郎

 

工場法施行

 

 

憲政会結成

大隈内閣総辞職後 総裁加藤高明

1917

西原借款始まる

段祺瑞政権 寺内正毅

 

理化学研究所

 

 

河上肇「貧乏物語」

 

 

本多光太郎、KS磁石鋼

 

 

金輸出禁止

1897年金本位制確立 金本位制停止

 

志賀直哉「和解」

 

 

ソヴィエト樹立宣言

レーニン ロシア革命 ボリシェヴィキ

 

石井・ランシング協定

石井菊次郎 ランシング 九カ国条約締結で廃棄

1918

ウィルソンの14カ条

 

 

箕面有馬電気鉄道、阪神急行電気鉄道と改称

小林一三

 

満鉄、鞍山製鉄所を設置

 

 

鈴木三重吉「赤い鳥」

 

 

米騒動

富山魚津 シベリア出兵を当て込んだ米の買い占めによる 寺内内閣総辞職(9月)

 

シベリア出兵(~1922)

 

 

原敬組閣(立憲政友会

「平民宰相」 選挙権資格3円に引き下げ 小選挙区制導入 鉄道拡充 高等学校増設

 

大学令

高等学校令

 

黎明会

吉野作造

 

東大新人会

 

1919

パリ講和会議

西園寺公望 牧野伸顕

 

菊池寛恩讐の彼方に

 

 

三・一独立運動

 

 

「改造」創刊

 

 

五・四運動

 

 

ヴェルサイユ条約

山東省の旧ドイツ権益の継承(ワシントン会議で返還) 南洋諸島委任統治

 

北一輝日本改造法案大綱」執筆

 

 

猶存社

大川周明

 

友愛会、大日本労働総同盟友愛会と改称

 

 

中国国民党結党

孫文

 

帝展開催

文展から帝展に

 

和辻哲郎「古寺巡礼」

 

1920

国際連盟発足

 

 

東京帝国大学助教授の森戸辰男、休職処分

クロポトキンの研究

 

戦後恐慌始まる

 

 

新婦人協会

市川房枝

 

第一回メーデー

 

 

日本社会主義同盟

翌年禁止

1921

志賀直哉「暗夜行路」

 

 

「種蒔く人」

プロレタリア文学

 

この頃、岸田劉生「麗子微笑」

関連;春陽会 梅原龍三郎

 

赤蘭会

山川菊栄 伊藤野枝 社会主義の立場からの女性運動

 

日本労働総同盟友愛会日本労働総同盟と改称

 

 

ワシントン会議

加藤友三郎 幣原喜重郎 協調外交 ワシントン体制

 

四カ国条約

米・英・日・仏 日英同盟廃棄 太平洋の平和に関する条約

1922

九カ国条約

米・英・日・仏・伊・蘭・ポルトガル・ベルギー・中国 石井・ランシング協定廃棄

 

海軍軍縮条約

米・英・日・仏・伊 主力艦保有量の制限

 

全国水平社

西光万吉

 

日本農民組合

賀川豊彦 杉山元治郎

 

日本共産党結成

堺利彦 山川均

1923

関東大震災

亀戸事件 甘粕事件(甘粕雅彦) 大杉栄 伊藤野枝

 

虎の門事件

第二次山本権兵衛内閣総辞職

 

横山大観「生々流転」

 

1924

清浦圭吾内閣

 

 

第二次護憲運動

憲政会・立憲政友会革新倶楽部

 

加藤高明内閣発足

護憲三派 幣原外交 「憲政の常道

 

築地小劇場

新劇運動 小山内薫

 

津田左右吉「神代史の研究」

 

 

この頃、石橋湛山小日本主義

東洋経済新報」

1925

日ソ基本条約

 

 

普通選挙

満二十五歳以上の男性 四倍に拡大

 

治安維持法

「国体」の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社の禁止

 

ラジオ放送開始

 

 

五・三〇事件

在華紡でのストライキ

 

加藤内閣、憲政会を単独与党とする内閣となる

 

1926

若槻礼次郎内閣(憲政会)

 

 

労働農民党

無産政党

 

蔣介石、北伐開始

 

 

円本販売

 

 

摂政裕仁親王即位(昭和天皇) 昭和改元

 

1927

金融恐慌

片岡直温 震災手形の処理中 鈴木商店 台湾銀行

 

川端康成伊豆の踊子

新感覚派

 

田中義一内閣

立憲政友会

 

支払猶予令(モラトリアム)発令

 

 

第一次山東出兵

 

 

立憲民政党

浜口雄幸

 

東方会議

張作霖の支援

 

蔣介石、南京に国民政府を樹立

 

1928

普通選挙制による最初の総選挙

無産政党勢力から8名当選

 

三・一五事件

共産党員の一斉検挙

 

野口英世、黄熱病の研究

 

 

第二次山東出兵

 

 

済南事件

 

 

第三次山東出兵

 

 

張作霖爆殺事件

関東軍の独断 河本大作大佐停職のみ 奉天 満州某重大事件 田中内閣総辞職

 

治安維持法改正

最高刑を死刑とする

 

道府県特高を設置

 

 

パリ不戦条約調印

(教科書p341注2熟読の事)

 

張学良、国民政府に合流

易幟事件

1929

四・一六事件

共産党員の逮捕

 

小林多喜二蟹工船

 

 

徳永直「太陽のない街」

 

 

浜口雄幸内閣

立憲民政党 井上準之助蔵相 金解禁の準備 幣原喜重郎外相 協調外交

 

世界恐慌

イギリス ブロック経済

1930

金解禁

昭和恐慌

 

ロンドン海軍軍縮条約

統帥権干犯問題 補助艦(対米英7割)

 

この年、「豊作貧乏

 

1931

三月事件

陸軍青年将校クーデター未遂 桜会 橋本欣五郎 大川周明

 

横光利一「機械」

新感覚派

 

重要産業統制法

統制経済の先駆け

 

「マダムと女房」封切

日本初の本格トーキー

 

柳条湖事件

奉天郊外 石原莞爾 「世界最終戦論」

 

十月事件

陸軍青年将校クーデター未遂 桜会 橋本欣五郎 大川周明

 

犬養毅内閣組閣

立憲政友会 金解禁禁止 高橋是清 管理通貨制度

 

和辻哲郎「風土」

 

 

この年、東北を中心に農業恐慌

 

1932

リットン調査団派遣

 

 

血盟団事件

井上日召 井上準之助団琢磨暗殺(琢磨の漢字注意)

 

満州国建国を宣言

溥儀

 

五・一五事件

犬養毅暗殺 「憲政の常道

 

斎藤実内閣組閣

 

 

日本国家社会党

赤松克麿

 

安井曽太郎「金蓉」

 

1933

国際連盟臨時総会

リットン調査団勧告 日本全権団退場 松岡洋右

 

国際連盟からの脱退を勧告

 

 

F.ローズヴェルト大統領のニューディール政策

 

 

滝川事件

京都大学 滝川幸辰

 

塘沽停戦協定

 

 

佐野学・鍋山貞親、転向を声明

 

 

この年、世界恐慌以前の生活水準を回復

 

 

この年、重化学工業が繊維工業を上回る

鮎川義介日産コンツェルン 野口遵ー日窒コンツェルン

1934

日本製鉄会社

 

 

陸軍省パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」

 

1935

天皇機関説問題

美濃部達吉 上杉慎吉

 

国体明徴声明

岡田啓介

 

相沢事件

皇道派荒木貞夫・真崎甚三郎・相沢三郎) 統制派(永田鉄山東条英機) 

 

冀東防共自治協定

華北分離工作

 

「日本浪曼派」

亀井勝一郎保田与重郎

1936

二・二六事件

北一輝(「日本改造法案大綱」) 戒厳令

 

広田弘毅内閣

軍部大臣現役武官制復活

 

「国策の基準」

 

 

日独防共協定

 

 

西安事件

長征 張学良 蔣介石

1937

宇垣一成組閣失敗

林銑十郎内閣組閣(軍財抱合)

 

近衛文麿組閣

 

 

盧溝橋事件

日中戦争

 

第2次上海事変

 

 

第2次国共合作

抗日民族統一戦線

 

企画院

翌年度より物資動員計画作成

 

国民精神総動員運動

 

 

矢内原事件

矢内原忠雄

 

日独伊防共協定

 

 

日本軍、南京占領

 

 

日本無産党活動停止

鈴木茂三郎

1938

第1次近衛声明

「国民政府を対手とせず」声明

 

人民戦線事件

大内兵衛

 

石川達三「生きてゐる兵隊」発売禁止

 

 

国家総動員

同時に電力国家管理法

 

張鼓峰事件

 

 

産業報国会

 

 

火野葦平「麦と兵隊」

 

 

第2次近衛声明

東亜新秩序

 

汪兆銘重慶を脱出

 

 

第3次近衛声明

近衛三原則(善隣友好・共同防共・経済提携)

1939

平沼騏一郎内閣組閣

枢密院議長

 

ノモンハン事件

 

 

アメリカ、日米通商航海条約破棄を通告

 

 

9月1日、ドイツがポーランドに侵攻

9月3日、第二次世界大戦はじまる 「大東亜共栄圏」建設

 

価格等統制令

「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません,勝つまでは」

 

朝鮮で創氏改名

皇民化」政策

1940

斎藤隆夫反軍演説

 

 

近衛文麿、新体制運動推進

 

 

七・七禁令

ぜいたく品の製造販売禁止

 

北部仏印進駐開始

援蔣ルート遮断

 

日独伊三国同盟

 

 

大政翼賛会

町内会 隣組

 

砂糖・マッチの切符制

 

 

この年から米の供出性

 

1941

国民学校

 

 

日ソ中立条約

松岡洋右

 

日米交渉開始

野村吉三郎 ハル国務長官

 

関東軍特種演習(関特演)

 

 

南部仏印進駐

在米資産凍結 対日石油輸出禁止 「ABCD包囲陣」 対日経済封鎖

 

帝国国策遂行要領決定

 

 

東条英機内閣組閣

内大臣木戸幸一

 

米の配給制始まる

 

 

ハル=ノート

 

 

ハワイ真珠湾を奇襲攻撃

太平洋戦争 自衛戦争 「大東亜共栄圏

1942

翼賛選挙

 

 

翼賛政治会

 

 

日本文学報国会

 

 

ミッドウェー海戦

 

 

泰麺鉄道建設

関連;三光作戦

1943

谷崎潤一郎細雪」連載禁止

 

 

ムッソリーニ失脚

イタリア、9月に降伏

 

大東亜会議

 

 

学徒出陣

 

 

カイロ宣言

 

1944

ガダルカナル島陥落

 

 

学童疎開

 

 

サイパン陥落

東条内閣総辞職 小磯国昭内閣 米内光政 本土空襲激化(サイパン島基地より)

 

女子挺身勤労令

女子挺身隊 工場 勤労動員

 

レイテ沖海戦

特攻隊

1945

ヤルタ会談

ローズヴェルトチャーチル(のちアトリー)・スターリン 千島列島譲渡 ソ連の対日参戦

 

東京大空襲

 

 

硫黄島占領される

 

 

沖縄本島上陸(沖縄戦

地上戦 

 

鈴木貫太郎内閣

 

 

ドイツ、無条件降伏

ヒトラー自殺

 

ポツダム宣言

 

8.6

広島に原爆投下

 

8.8

ソ連参戦

 

8.9

長崎に原爆投下

 

8.14

ポツダム宣言受諾

北緯38度線を境に分割統治 

8.15

玉音放送

鈴木貫太郎内閣総辞職 東久邇宮稔彦内閣組閣(一億総懺悔・国体護持)

9.2

ミズーリ号上で降伏文書調印

重光葵 梅津美治郎

 

GHQ/SCAP マッカーサー元帥 間接統治 プレス=コード

 

10

国際連合の設立

安全保障理事会 常任理事国(米・英・仏・ソ・中国)

 

人権指令

東久邇宮内閣総辞職

 

幣原喜重郎内閣組閣・五大改革

婦人参政権の付与 労働組合の結成奨励

 

憲法問題調査委員会

松本烝治

 

日本共産党

徳田球一 合法政党

11

日本社会党

 

 

日本自由党

 

 

日本進歩党

 

12

日本協同党

 

 

衆議院議員選挙法改正

女性参政権 満20歳以上

 

憲法草案要綱

高野岩三郎

 

労働組合

 

 

第一次農地改革

 

 

この年、記録的凶作

関連:闇市

1946

人間宣言

昭和天皇 元日

1

公職追放指令

鳩山一郎

2

マッカーサー草案

 

 

金融緊急措置令

インフレーションを抑えるため 効果は一時的

4

戦後初の総選挙

 

5

吉田茂内閣組閣

日本進歩党の協力

 

東京裁判

 

8

持株会社整理委員会

財閥解体

9

労働関係調整法

 

10

自作農創設特別措置法

第二次農地改革 同年12月より施行 不在地主の全貸付地 在村地主の貸付地の一定面積

11.3

日本国憲法公布

半年後(5月3日)施行 主権在民・平和主義・基本的人権の尊重 象徴天皇制 戦争放棄

1947

傾斜生産方式

有沢広巳 12月27日閣議決定 復興金融金庫

1.31

ゼネラル=ストライキ中止命令

二・一ゼネスト計画

3

教育基本法

アメリカ教育使節団

 

学校教育法

六・三・三・四の新学制

 

トルーマン=ドクトリン

6月にはマーシャル=プラン発表

4

労働基準法

 

 

地方自治法

 

 

衆参両議院議員選挙

総選挙の結果を受けて片山哲内閣成立 日本社会党

 

独占禁止法

カルテル・トラストなどが禁止

12

過度経済力集中排除法

巨大独占企業の分割

 

民法

 

 

内務省廃止

 

1948

芦田均内閣

中道連立内閣

 

昭和電工疑獄事件

 

7

教育委員会

公選

 

政令201号

官公庁労働者が争議権を失う

8

大韓民国

李承晩

9

朝鮮民主主義人民共和国

金日成

10

芦田内閣総辞職

中道連立内閣

12

GHQ、経済安定九原則の実行を指令

 

1949

法隆寺金堂壁画焼損

 

3

ドッジ=ライン発表

インフレ収束 不況(この年の下半期頃より)

4

1ドル=360円の単一為替レート設定

 

7

下山事件

人員整理を巡って労働者側に不利

 

三鷹事件

 

8

松川事件

 

8

シャウプ勧告

直接税中心主義 累進所得税

8

北大西洋条約機構NATO)結成

 

10

中華人民共和国成立

毛沢東 北京

12

中華民国政府、台湾で存続(首都台北)

蔣介石 台北

 

湯川秀樹ノーベル賞

理論物理学 中間子論

1950

文化財保護法

 

6

朝鮮戦争

北朝鮮が武力統一を目指して侵攻 北緯38度線 特需景気

7

レッドパージ

 

 

警察予備隊新設

 

 

日本労働組合総評議会(総評)

 

9

仁川上陸作戦

国連軍(アメリカ軍) 中国国境まで押し返す 中国人民義勇軍

10

この頃から公職追放解除始まる

 

 

この頃から手塚治虫活躍

 

1951.9

黒沢明羅生門ヴェネツィア映画祭でグランプリ

関連:溝口謙二 その他文化

 

日米安全保障条約

 

 

サンフランシスコ平和条約

ソ連ー出席○調印× インド・ビルマー出席× 中華人民共和国中華民国ー招待× 領土制限

10

日本社会党、左右両派に分裂

単独講和 全面講和 ダレス

1952

日米防共協定

 

 

血のメーデー事件

 

 

破壊活動防止法

公安調査庁設置

 

IMFに加盟

 

1953

テレビ放送開始

1952年試験放送

7

朝鮮戦争休戦

休戦協定調印 板門店

1954

MSA協定

 

 

第五福龍丸被曝

原水爆禁止運動

 

自衛隊発足

防衛庁 「逆コース」

1955

総選挙

社会党改憲阻止に必要な3分の1の議席を獲得

4

アジア=アフリカ会議(バンドン会議

 

5

ワルシャワ条約機構結成

 

8

原水爆禁止世界大会

 

10

社会党両派統一

 

11

自由民主党

保守合同 55年体制

 

この年より神武景気(~57)

 

1956

教育委員会

公選⇒任命制

7

経済白書「もはや戦後ではない」

 

10

日ソ共同宣言

鳩山一郎 フルシチョフ

12

日本、国連加盟

 

1957

岸信介内閣

 

1958

岩戸景気(~61)

 

1960

三池争議

 

 

日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)

事前協議 全学連 60年安保闘争

7

池田勇人内閣組閣

「寛容と忍耐」 「所得倍増」

1961

農業基本法

 

1962

LT貿易

高碕達之助 廖承志

1963

GATT11条国に移行

 

 

部分的核実験禁止条約

 

 

オリンピック景気(~64)

 

1964

IMF8条国に移行

OECD加盟

10

東海道新幹線開通

 

 

オリンピック東京大会

 

12

佐藤栄作内閣組閣

 

1965

米軍、北爆開始

ベトナム戦争

 

日韓基本条約

朴正熙

 

朝永振一郎ノーベル物理学賞受賞

 

 

この年、白黒テレビの普及率が9割に達する

三種の神器 電気洗濯機・電気冷蔵庫に普及率は5年後におよそ9割に

1966

いざなぎ景気(~70)

貿易黒字

1967

東京都知事に革新派の美濃部亮吉

 

 

公害対策基本法

 

1968

小笠原諸島返還

 

7

核拡散防止条約

 

 

この年、GNPがアメリカに次いで2位となる

 

1970

日本万国博覧会

 

 

減反政策始まる

 

1671

沖縄返還協定

 

 

環境庁

公害対策基本法改正を受けて

 

ドル=ショック

ニクソン 金とドルの交換停止

 

スミソニアン体制

 

1972

田中角栄内閣発足

日本列島改造論

 

日中共同声明

 

1973

ベトナム和平協定

 

 

変動相場制に完全移行

 

 

江崎玲於奈ノーベル物理学賞受賞

 

 

第4次中東戦争

第1次石油危機 狂乱物価(前年以来の公共投資の増大なども因子)

 

四代公害訴訟、いずれもこの年までにすべて原告勝訴

水俣病新潟水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそく 有機水銀カドミウム

1974

三木武夫内閣発足

「クリーン政治」

 

この年、戦後初のマイナス成長

スタグフレーション

1975

山陽新幹線

 

11

先進国首脳会議(サミット)

米・日・独・英・仏・伊

1976

 

 

12

福田赳夫内閣組閣

 

1978

日中平和友好条約

 

1979

第2次石油危機

 

 

 

 

 

貿易摩擦

 

 

円高基調

 

 

新冷戦

レーガン

 

 

 

1982

中曽根康弘内閣

行政改革 「戦後政治の総決算」

1985

ゴルバチョフ、書記長になる

ペレストロイカ グラスノスチ

 

プラザ合意

円高不況

 

 

 

 

バブル景気

 

 

 

 

1988

消費税導入決定

 

 

リクルート事件で竹下内閣総辞職

 

1989

消費税実施

大型間接税 竹下登

 

日本労働組合総連合会

 

 

マルタ会談

冷戦終結

1991

湾岸戦争

PKO 多国籍軍

 

ソ連崩壊

 

1992

PKO協力法

 

1993

非自民非共産8党派連立政権成立

細川護熙 55年体制の崩壊

1994

小選挙区比例代表並立制

 

 

自社さきがけ政権

社会党村山富市が首班の内閣

近世

1454

享徳の乱

関東公方関東管領分裂(古河公方堀越公方、山内と扇谷)

 

 

 

1467

応仁の乱

この後戦国時代

 

 

 

1480

このころ、朝倉孝景条々成立

一乗谷に家臣集住

 

 

 

1493

明応の政変

この2件を戦国時代の始祖とする説もある

 

北条早雲により堀越公方滅亡

 

1495

北条氏が小田原に拠点を置く

北条氏綱北条氏康、早雲寺殿廿一箇条

 

 

 

1526

今川仮名目録制定

 

 

 

 

 

 

 

1533

石見銀山にて灰吹法に日本初めての成功

甲斐、駿河、伊豆の金山 但馬の銀山

1536

塵芥集制定

 

 

天文法華の乱

日親

1543

種子島に鉄砲が伝えられる

種子島時堯、ポルトガル

1549

フランシスコ=ザビエル、キリスト教布教開始

鹿児島、豊後府内、山口、イエズス会大内義隆大友宗麟(義鎮)

1547

甲州法度次第制定

 

1550

三好長慶政権が成立

新加制式

1553

今川仮名目録追加

 

1555

毛利元就陶晴賢厳島で討つ

 

1556

結城氏新法度

 

 

ガスパル=ヴィレラ来日 布教開始

堺が東洋のベニスと紹介される

1557

マカオ

ポルトガル

1560

桶狭間の戦い

今川義元

1561

第4期川中島の戦い

武田信玄 上杉謙信

1562

清州同盟

徳川家康

1563

ルイス=フロイス来日

『日本史』

1565

狩野永徳洛中洛外図屏風

関連:「唐獅子図屏風」

1567

信長、岐阜城入城

天下布武」 楽市令

 

松永久秀による東大寺大仏殿炎上

三好長慶 松永久秀

1568

信長、足利義昭を奉じて入京

 

1570

姉川の戦い

浅井・朝倉

 

石山合戦開始

 

1571

比叡山延暦寺焼打ち

 

 

マニラ建設

スペイン

1573

室町幕府滅亡

足利義昭、毛利氏を頼る

1574

伊勢長島一向一揆を滅ぼす

 

1575

長篠の合戦

鉄砲 国友

1576

安土城築城開始

楽市楽座

1579

ヴァリニャーニ来日

セミナリオ(神学校) コレジオ(宣教師養成機関)

1580

石山合戦終結

石山本願寺 顕如 根来の雑賀孫一

1582

武田氏滅亡

 

 

天正遣欧使節派遣

伊東マンショ千々石ミゲル他2名 大村純忠 大友宗麟 有馬晴信

 

本能寺の変

織田信長嫡男信忠死亡

 

山崎の合戦

明智光秀

 

この頃、妙喜庵茶室(待庵)

千利休

 

秀吉、征服地に検地を開始(太閤検地の始まり)

6尺3寸四方=300歩=1段あたりの生産高・石盛×面積=石高 京枡に統一

1583

賎ヶ岳の戦い

柴田勝家

 

大坂城築城開始

 

1584

小牧・長久手の戦い

織田信雄

 

スペイン船、平戸に来航

 

1585

秀吉、関白就任

 

 

四国平定

長宗我部元親

 

初の惣無事令

これに違反したことを理由に北条氏征伐

1586

秀吉、太政大臣に就任

豊臣姓に改姓

1587

九州平定

島津義久

 

バテレン追放令

高山右近播磨国明石城含む領地没収

 

秀吉、宗氏を通じ朝鮮に入貢と明出兵時の先導を要求するも、拒否られる

 

1588

後陽成天皇聚楽第で歓待

1587年、聚楽第完成

 

刀狩令 海賊取締令

 

 

天正大判の制作

 

 

この頃、高三隆達の小唄(隆達節)

 

1590

小田原攻め

北条氏政

 

奥州平定 全国統一

伊達政宗

 

キリシタン版の出版(活版印刷術をヴァリニャーニが伝える)

 

1591

検地帳と国絵図の提出 人掃令

兵農分離の完成

 

西本願寺

西本願寺飛雲閣(伝聚楽第遺構) 西本願寺諸院(鴻の間)

 

キリシタン版(天草版)の印刷始まる

 

1592

文禄の役(~93)

亀甲船 李舜臣 義兵

 

長谷川等伯智積院襖絵」

 

 

慶長年間、後陽成天皇 慶長勅版

木版

1594

この頃、長谷川等伯「松林図屏風」

関連;海北友松

1596

サン=フェリペ号事件

スペイン船

 

26聖人殉教

 

1597

慶長の役(~98)

文禄の役とともに本陣は肥前名護屋におかれた 2戦併せて壬辰・丁酉倭乱

1598

五大老五奉行の設置

五大老は当初6人いたことに注意

1560

リーフデ号漂着

ヤン=ヨーステン ウィリアム=アダムズ(三浦按針)

 

関ヶ原の戦い石田三成vs徳川家康

西軍総大将は毛利輝元

1603

家康、征夷大将軍に就任し、江戸に幕府を開く

後陽成天皇が任命

 

この頃、出雲阿国、「かぶき踊り」を始めたとされる

阿国歌舞伎

1604

糸割符制度

五カ所商人(長崎、京都、堺、大坂、江戸)

 

初めて朱印状発行 朱印船

長崎の末次平蔵、摂津の末吉孫左衛門、京の角倉了以茶屋四郎次郎

1605

林羅山仕官

藤原惺窩

 

家康、秀忠に将軍職を譲る

将軍職を徳川氏世襲し、代々天下を統一していくことを諸大名に示す

1607

家康、駿府

大御所

1609

島津家久琉球を征服 中継ぎ貿易の利益

以降、謝恩使(国王代替わり)と慶賀使(将軍代替わり)派遣

 

己酉約条

4回目からは通信使 釜山に倭舘

 

オランダ、平戸に商館

 

 

この年、姫路城竣工

 

1610

ノビスパンとの通商を求めて田中勝介を派遣

ドン=ロドリゴ

1612

天領に禁教令

 

1613

全国に禁教令

 

 

イギリス人に通商許可

オランダ、イギリス人をまとめて虹毛人と呼ぶ

 

伊達政宗支倉常長を欧州に派遣(慶長遣欧使節)

 

1614

方広寺鐘銘事件

 

 

宣教師・高山右近らを追放

 

 

大坂冬の陣

 

1615

大坂夏の陣

豊臣秀頼自刃 豊臣氏滅亡(元和偃武

 

一国一城令

 

 

武家諸法度(元和令)

金地院崇伝

 

禁中並公家諸法度

武家伝奏

 

この頃、松永貞徳、貞門俳諧

 

1616

徳川家康死去 死ぬ直前に太政大臣

日光東照宮の権現造

 

ヨーロッパ船の入港地を平戸、長崎に限定

 

 

この頃、有田焼始まる

関連:酒井田柿右衛門 赤絵

1617

狩野探幽、幕府御用絵師となる

 

1622

元和の大殉教

 

1623

イギリス、平戸の商館を閉鎖し日本から撤退

 

1624

スペイン船の来航禁止

 

1625

この頃までに桂離宮の第一次造営完成か

 

1626

このころ、踏絵が始まる。また、このころ山田長政が活躍

日本町

1627

紫衣事件

大徳寺の沢庵(流刑は29年執行)

 

吉田光由「塵劫記

 

1629

後水尾天皇明正天皇に譲位

最後の女性天皇後桜町天皇で、明正天皇称徳天皇以来の女性天皇

1633

奉書船以外の日本来航を禁じる

奉書=老中発行の許可書

1634

海外渡航通商制限

 

 

老中などの仕組みが整う

大老 老中 側用人 若年寄 寺社奉行 京都所司代 大目付 勘定奉行

 

この頃、俵屋宗達風神雷神図屏風

関連:本阿弥光悦 楽焼 舟橋蒔絵硯箱

 

この頃までに「彦根屏風」描かれるか

 

1635

日本人の海外渡航及び帰国を全面禁止

 

 

中国船の来航も長崎のみに

 

 

武家諸法度(寛永令)

参勤交代制度の確立

1636

出島にポルトガル人移住

同年、後金が清に改名

 

日光東照宮完成

 

1637

島原の乱

天草四郎時貞 寺沢氏の天草 松倉氏の島原 原城

 

宗門改め

寺請制度

1639

ポルトガル船来航禁止

 

1641

オランダ商館を出島へ

東インド会社

 

翌年にかけて、寛永の飢饉

 

 

花畠教場開校

全国初の藩校 熊沢蕃山

1643

田畑永代売買の禁止令

 

 

オランダ風説書

 

 

この頃、野々村仁清、上絵付法をもとに色絵を完成し京焼の祖となる

 

1648

藤樹書院

中江藤樹 近江聖人 「翁問答」

1649

慶安の触書?

 

古代

BC108 漢の武帝楽浪郡を設置  
57 漢の倭の奴国の使者が洛陽に赴いて光武帝より印綬を受ける 漢委奴国王 金印 志賀島 「後漢書東夷伝 建武中元二年 使人=大夫
97 この頃、漢書地理志がかかれる 楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る
107 倭国王帥升らが生口百六十人を安帝に献ずる 安帝の永初元年 「後漢書東夷伝
239 邪馬台国卑弥呼が魏の皇帝に遣いを送る 親魏倭王」の称号と金印、多数の銅鏡 難升米 巫女
247 この頃、卑弥呼死去 狗奴国と争った晩年 死後の混乱
266 卑弥呼の一族から出た女王壱与(台与)(?)が晋の都洛陽に遣いを送る
297 この頃、「魏志倭人伝成立 「下戸、大人と道路に相逢えば」 邪馬壹国 倭人は帯方の東南大海の中に
313 高句麗楽浪郡を滅ぼす 馬韓弁韓辰韓
345 この頃、百済建国 馬韓50国余を統一
356 新羅成立 辰韓12国余を統一
391 辛卯の年 この頃までに弁韓は加(伽)耶に? 任那 加羅 ヤマト政権 鉄資源
414 好太王碑文 好太王(広開土王) 長寿王 丸都
471 亥年か? ワカタケル大王(雄略天皇)の支配が東国に及んでいた 稲荷山古墳出土鉄剣 江田船山古墳出土鉄刀
478 昇明二年、倭の五王の一人、武(雄略天皇)が宗の順帝に上表文を奉る 讃・珍・済・興・武 允恭(済)安康(興) 雄略、安東大将軍倭王に任命される
507 大伴金村継体天皇を即位させる  
513 この頃までに「宗書」倭国伝完成  
  百済五経博士段陽爾をおくる  
527 筑紫国磐井の乱 翌年鎮圧 物部麁鹿火 乱後、糟屋屯倉
538 百済の聖(明)王が仏教をつたえる 欽明天皇 「上宮聖徳法王帝説」「元興寺縁起」
552 仏教伝来? 崇仏論争 日本書紀
587 蘇我氏物部氏を滅ぼす(585~) 物部守屋
588 法興寺飛鳥寺)建立開始(~596)  
589 隋、中国を統一  
592 崇峻天皇暗殺される 敏達天皇の后であった炊屋姫が推古天皇として即位
600 最初の遣隋使 「隋書」倭国
602 百済の僧観勒が暦本・天文地理書などをつたえる  
603 冠位十二階  
604 憲法十七条 1.「和を以て貴しとなし…」2.「篤く三宝を敬へ」3.「詔を承りては…」etc
607 大礼小野妹子を隋に遣わす 煬帝 「日本書紀」「隋書」倭国伝 大業三年
  法隆寺斑鳩寺)建立  
608 小野妹子帰国 答礼使として裴世清
609 高向玄理・旻・南淵請安 隋へ  
610 高句麗の僧曇徴が紙・墨・絵具などを伝える  
614 犬上御田鍬、隋へ  
618 隋滅び、唐がおこる  
621 中宮寺建立 中宮寺半跏思惟像
623 法隆寺金堂釈迦三尊像つくる 鞍作鳥
630 第一回遣唐使 犬上御田鍬
641 山田寺建立開始  
645 乙巳の変 旻・高向玄理を国博士に任じる 元号を大化とする 都を難波へ 中大兄皇子 中臣鎌足 蘇我倉山田石川麻呂 大極殿 皇極天皇 蘇我蝦夷
646 改新の詔 公地公民制へ移行
647 渟足柵  
648 磐舟柵  
649 法隆寺玉虫厨子完成?  
655 前年の孝徳天皇の死去をうけ、皇極天皇が飛鳥板蓋宮で重祚斉明天皇
658 阿倍比羅夫蝦夷征討 秋田地方 能代地方
661 斉明天皇筑紫国朝倉宮で死亡 中大兄皇子、称制
663 白村江の戦い  
664 対馬壱岐・筑紫に防人と烽を設置 筑紫に水城を建築  
665 筑紫に大野城・基肄城をつくる  
667 近江大津宮に都を移す  
668 天智天皇即位 cf 富本銭
669 中臣鎌足に藤原姓と大織冠の地位を授ける  
670 庚午年籍  
672 壬申の乱 大海人皇子vs大友王子(弘文天皇
673 飛鳥浄御原宮天武天皇即位 伊勢神宮
676 新羅朝鮮半島統一  
677 官大寺なる  
684 八色の姓を制定  
685 山田寺仏頭開眼 後に興福寺に移される(興福寺仏頭)
686 天武天皇  
689 飛鳥浄御原令施行  
690 庚寅年籍作成  
692 班田収受始まる  
694 藤原京遷都  
697 文武天皇即位  
698 薬師寺建立 薬師寺吉祥天像
  この頃、高松塚古墳  
701 大宝律令制定 刑部親王 藤原不比等
708 和同開珎 武蔵 
  出羽柵  
710 平城京に遷都  
  興福寺、奈良に建つ  
711 蓄銭叙位令  
712 古事記 稗田阿礼(誦習) 太安万侶(筆録)
713 風土記」の編纂を命じる 出雲(ほぼ完本) 常陸 播磨 豊後 肥前
717 百姓らの違法な出家、行基らの民間宗教の禁止  
  この年、阿倍仲麻呂、唐に渡る 玄宗皇帝 王維・李白と交流
718 養老律令 藤原不比等
720 日本書紀 舎人親王
722 百万町歩の開墾計画  
723 三世一身法  
724 聖武天皇即位 陸奥多賀城設置  
727 渤海使初来日  
729 長屋王の変  
730 悲田院・施薬院設置 この頃、貧窮問答歌山上憶良
733 秋田城  
734 興福寺阿修羅像(乾漆像)  
737 藤原武智麻呂 房前 宇合 麻呂、天然痘で死亡 南家 北家 式家 京家
738 橘諸兄政権 吉備真備 玄昉(法相宗
740 藤原広嗣の乱 吉備真備、玄昉の排斥 九州で挙兵
741 国分寺建立の詔 国分寺金光明四天王護国之寺 国分尼寺ー法華滅罪之寺
742 紫香楽宮  
743 墾田永年私財法  
  大仏造立の詔 盧舎那仏
745 平城京に戻る  
749 孝謙天皇即位  
750 この頃、法隆寺夢殿・東大寺法華堂 東大寺法華堂不空羂索観音像(乾漆像) 
751 懐風藻 撰者(?)淡海三船
752 大仏開眼供養  
754 鑑真東大寺戒壇を設置 東大寺戒壇堂四天王像(塑像)
755 安史の乱 これ以後、唐は衰退
756 この頃、正倉院宝庫 鳥毛立女屏風(樹下美人図) 螺鈿紫檀五絃琵琶
757 橘奈良麻呂の変  
758 淳仁天皇即位 藤原仲麻呂恵美押勝の名を賜る 藤原南家
759 唐招提寺 鑑真
  この頃、東大寺別当に良弁  
761 本朝三戒壇 筑紫観世音寺 下野薬師寺
764 恵美押勝の乱 淳仁天皇、淡路に廃帝 考謙太上天皇重祚称徳天皇
766 道鏡、法王となる  
767 伊治城  
769 宇佐八幡神託事件 和気清麻呂
770 百万塔陀羅尼 現存最古の印刷物
  称徳天皇没 道鏡、下野薬師寺別当に左遷 光仁天皇(天智系)即位 藤原百川藤原式家
  この頃、「万葉集 大伴家持
773 石上宅嗣芸亭を創設  
  この頃、唐招提寺金堂  
780 伊治呰麻呂の乱  
  神宮寺として、室生寺建立 室生寺金堂(弘仁・貞観文化)
781 桓武天皇即位 母:高野新笠
784 長岡京に遷都  
785 藤原種継暗殺 藤原式家 早良親王
788 最澄延暦寺を創建  
789 紀古佐美阿弖流為に大敗  
792 諸国の兵士を廃止し、一部地域を除き代わりに健児を置く  
794 平安京に遷都 山背国⇒山城国
797 続日本紀 菅野真道ら
  この頃、勘解由使設置か 令外官
  坂上田村麻呂征夷大将軍  
  三教指帰  
801 班田収受を一紀一班に改める  
  この頃、弘文院(和気氏の大学別曹)置かれる  
  この頃、空海「文鏡秘府論」  
802 坂上田村麻呂、胆沢城を建築 阿弖流為ら降伏  
803 坂上田村麻呂、志波城を築城  
804 能登客院  
805 最澄、帰国し天台宗を始める 関連:青蓮院不動明王二童子像
  徳政論争 藤原緒嗣(軍事と造作の批判) 菅野真道
806 平城天皇即位  
  空海、帰国し真言宗を開く  
  この頃、百済河成が活躍  
809 平城天皇、譲位し嵯峨天皇即位  
810 蔵人所を創設 巨勢野足 藤原冬嗣藤原北家) 
  薬子の変平城太上天皇の変 藤原仲成・薬子(藤原式家) 仲成は射殺 薬子は自殺 「二所朝廷」
812 空海「風信帖」 関連:三筆(空海嵯峨天皇橘逸勢
813 文室綿麻呂、徳丹城を築く  
814 小野岑守ら「凌雲集  
815 観心寺如意輪観音  
816 検非違使  
  この頃、神護寺薬師如来 関連:元興寺薬師如来像・薬師寺僧形八幡神像(いずれも一木造)
818 藤原冬嗣ら「文華秀麗集  
819 高野山金剛峰寺  
820 「顕戒論」  
  弘仁格式 三代格式
821 藤原冬嗣、勧学院を創立  
822 比叡山戒壇設置の許可が下りる 三一権実論争
  この頃、景戒「日本霊異記  
823 東寺空海に下賜 また、この年、比叡山寺を延暦寺とする  
  大宰府に公営田を設置  
827 良岑安世ら「経国集  
828 初の勅旨田  
  空海綜芸種智院を創設  
833 清原夏野ら「令義解」 官撰
835 この頃、「性霊集」  
842 承和の変藤原北家の他氏排斥:藤原良房 橘逸勢 伴健岑 
844 この頃、学館院(橘氏の大学別曹)設置  
847 円仁、唐から帰国 「入唐求法巡礼行記」
858 清和天皇即位 藤原良房、臣下で初めて摂政となる
866 応天門の変 伴善男
868 惟宗直本令集解 私撰
869 貞観格 三代格式
871 貞観式 三代格式
873 経基王に源姓を賜う(清和源氏  
879 日本文徳天皇実録  
881 在原氏「奨学院」  
884 光孝天皇即位 藤原基経、関白に任ぜられる  
887 阿衡の紛議 翌年、橘広相処罰
889 高望王、平の姓を賜る(桓武平氏  
894 菅原道真遣唐使停止の建議  
897 滝口の武者、初めて置かれる  
899 教王護国寺両界曼荼羅金剛界 胎蔵界  
900 菅家文草 (弘仁・貞観文化)
901 菅原道真藤原時平の策謀により右大臣から大宰権帥に左遷 (昌泰の変) 醍醐天皇
  日本三代実録  
902 延喜の荘園整理令 (班田の最後の年でもある)
905 紀貫之ら「古今和歌集 (国風文化) 「八大集」の一
907 唐が滅亡 五代十国時代 呉越(日本と交易)
  延喜格 三代格式
914 三善清行、醍醐天皇に「意見封事十二箇条」を奏上  
916 契丹(遼)建国  
918 高麗建国  
926 契丹によって渤海滅亡  
927 延喜式 三代格式
928 小野道風「屏風土代」 三蹟(跡)
930 藤原忠平摂政となる  
935 高麗によって新羅滅亡  
  この頃、紀貫之土佐日記  
  平将門、伯父の平国香を殺害 承平・天慶の乱始まる(~41)
939 平将門の乱 平将門、国府を攻略し新皇と名乗る
  藤原純友の乱  
940 平貞盛藤原秀郷とともに平将門を滅ぼす 下総猿島
941 源経基小野好古とともに藤原純友を討つ  
  藤原忠平、関白就任  
951 醍醐寺五重塔  
958 乾元大宝を鋳造 最後の本朝十二銭
960 宋が建つ  
963 空也六波羅蜜時を建立 「市聖」 浄土教を京の市で説く
967 村上天皇死去  
969 源高明左遷(安和の変 源満仲 源頼光
970 摂政藤原実頼死亡 (実頼以後、摂関常置となる)
974 蜻蛉日記  
982 この頃、慶滋保胤「池亭記」  
983 奝念、宋に入国  
985 源信「往生要集」  
  この頃、慶滋保胤「日本往生極楽記」  
986 奝念帰国。釈迦如来像を持ち帰る 嵯峨清涼寺
988 尾張国司藤原元命罷免 尾張国百姓等解(文)
991 藤原佐理「離洛帖」 三蹟(跡)
993 延暦寺で山門派と寺門派が争い、寺門派が園城寺に入る  
998 藤原道長御堂関白記 (現存最初の日記がこの年からのもの)
1001 清少納言枕草子  
1004 この頃、「和泉式部日記」  
1008 紫式部源氏物語 (この年の文献に記録初出)関連:「竹取物語」「伊勢物語」(共に成立年不詳)
1016 藤原道長摂政となる  
1018 藤原行成「白氏詩巻」 三蹟(跡)
  この頃、藤原公任和漢朗詠集  
1019 刀伊の入寇 大宰権帥 藤原隆家
  藤原頼通、関白就任  
1022 藤原道長、法成寺を建立  
  この頃、「栄華物語」  
1028 平忠常の乱  
1031 平忠常源頼信に降伏  
1032 この年、藤原実資「小右記」最後の記述 「この世をば わが世とぞ思う 望月の・・・」
1051 前九年合戦(の役)(~62) 源頼義・義家 陸奥俘囚安倍氏安倍頼時・貞任)
1052 末法元年 この年、藤原頼通、宇治の別荘を平等院とする
1053 平等院鳳凰堂落成 定朝 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 寄木造
1060 菅原孝標女更級日記  
  この頃、「陸奥話記」成立か?(11世紀後半)  
1068 後三条天皇即位 大江匡房
1069 延久の荘園整理令 記録荘園券契所
1072 宣旨枡  
  成尋、宋に渡る  
1077 法勝寺 白河天皇 六勝寺
1083 後三年合戦(の役)(~87) 出羽豪族清原氏の内紛 源義家清原清衡に加担
1086 白河天皇譲位し堀河天皇即位(院政の開始) 北面の武士を置く  
1096 白河上皇法皇となる  
1097 平正盛伊賀国の所領を六条院に寄進 伊勢平氏中央政界進出の基盤
1102 尊勝寺 堀河天皇 六勝寺
  この頃「大鏡  
1124 藤原清衡中尊寺金色堂  
1127 女真族の国金の圧力で北宋が滅亡し南宋成立  
1133 平忠盛、博多で宋と貿易 肥前国神崎荘
1138 中右記  
  この頃、「鳥獣戯画  
1141 八条院  
1152 平清盛厳島神社社殿修築  
  この頃、「扇面古写経」  
  この頃、藤原基衡毛越寺創建  
  この頃、「今昔物語集」成るか  
  この頃、「源氏物語絵巻  
1156 保元の乱 後白河天皇藤原通憲藤原忠通源義朝平清盛vs崇徳上皇藤原頼長源為義平忠正
1159 平治の乱 藤原信頼 藤原通憲信西) 頼朝、伊豆に流刑(蛭ヶ島) 北条時政
1160 白水阿弥陀堂  
1164 「平家納経」  
  蓮華王院  
1167 平清盛太政大臣になる  
1168 冨貴寺大堂  
1170 「今鏡」  
1172 平徳子建礼門院)、高倉天皇の中宮となる  
1177 鹿ヶ谷の陰謀 俊寛 藤原成親
  この頃、「伴大納言絵巻」  
1179 平清盛(平相国)、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉  
1180 平清盛大輪田泊修築  
  以仁王平氏追討の令旨 興福寺 園城寺 僧兵
  以仁王源頼政、挙兵  
  福原京に遷都  
  頼朝(8月・石橋山の戦い)、義仲(9月・木曽谷)  
  頼朝鎌倉入り。富士川の戦い  
  頼朝、侍所を設置 別当和田義盛
  平重衡東大寺焼き打ち 勧進上人重源
1181 養和の飢饉  
1183 倶利伽羅峠の戦い  
  平氏都落ち  
  後白河法皇、頼朝の東国支配権を認める(寿永二年十月宣旨)  
1184 この頃、三仏寺投入堂  
  一の谷の合戦  
  頼朝、公文所問注所を設置 大江広元 三善康信
1185 屋島の合戦  
  壇の浦の戦い  
  頼朝、守護・地頭を設置  
1187 藤原秀衡、死亡 関連:無量光院
  この頃、後白河法皇梁塵秘抄  
1189 奥州平定 藤原泰衡