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思いつくままに書いていきます

古代

BC108 漢の武帝楽浪郡を設置  
57 漢の倭の奴国の使者が洛陽に赴いて光武帝より印綬を受ける 漢委奴国王 金印 志賀島 「後漢書東夷伝 建武中元二年 使人=大夫
97 この頃、漢書地理志がかかれる 楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る
107 倭国王帥升らが生口百六十人を安帝に献ずる 安帝の永初元年 「後漢書東夷伝
239 邪馬台国卑弥呼が魏の皇帝に遣いを送る 親魏倭王」の称号と金印、多数の銅鏡 難升米 巫女
247 この頃、卑弥呼死去 狗奴国と争った晩年 死後の混乱
266 卑弥呼の一族から出た女王壱与(台与)(?)が晋の都洛陽に遣いを送る
297 この頃、「魏志倭人伝成立 「下戸、大人と道路に相逢えば」 邪馬壹国 倭人は帯方の東南大海の中に
313 高句麗楽浪郡を滅ぼす 馬韓弁韓辰韓
345 この頃、百済建国 馬韓50国余を統一
356 新羅成立 辰韓12国余を統一
391 辛卯の年 この頃までに弁韓は加(伽)耶に? 任那 加羅 ヤマト政権 鉄資源
414 好太王碑文 好太王(広開土王) 長寿王 丸都
471 亥年か? ワカタケル大王(雄略天皇)の支配が東国に及んでいた 稲荷山古墳出土鉄剣 江田船山古墳出土鉄刀
478 昇明二年、倭の五王の一人、武(雄略天皇)が宗の順帝に上表文を奉る 讃・珍・済・興・武 允恭(済)安康(興) 雄略、安東大将軍倭王に任命される
507 大伴金村継体天皇を即位させる  
513 この頃までに「宗書」倭国伝完成  
  百済五経博士段陽爾をおくる  
527 筑紫国磐井の乱 翌年鎮圧 物部麁鹿火 乱後、糟屋屯倉
538 百済の聖(明)王が仏教をつたえる 欽明天皇 「上宮聖徳法王帝説」「元興寺縁起」
552 仏教伝来? 崇仏論争 日本書紀
587 蘇我氏物部氏を滅ぼす(585~) 物部守屋
588 法興寺飛鳥寺)建立開始(~596)  
589 隋、中国を統一  
592 崇峻天皇暗殺される 敏達天皇の后であった炊屋姫が推古天皇として即位
600 最初の遣隋使 「隋書」倭国
602 百済の僧観勒が暦本・天文地理書などをつたえる  
603 冠位十二階  
604 憲法十七条 1.「和を以て貴しとなし…」2.「篤く三宝を敬へ」3.「詔を承りては…」etc
607 大礼小野妹子を隋に遣わす 煬帝 「日本書紀」「隋書」倭国伝 大業三年
  法隆寺斑鳩寺)建立  
608 小野妹子帰国 答礼使として裴世清
609 高向玄理・旻・南淵請安 隋へ  
610 高句麗の僧曇徴が紙・墨・絵具などを伝える  
614 犬上御田鍬、隋へ  
618 隋滅び、唐がおこる  
621 中宮寺建立 中宮寺半跏思惟像
623 法隆寺金堂釈迦三尊像つくる 鞍作鳥
630 第一回遣唐使 犬上御田鍬
641 山田寺建立開始  
645 乙巳の変 旻・高向玄理を国博士に任じる 元号を大化とする 都を難波へ 中大兄皇子 中臣鎌足 蘇我倉山田石川麻呂 大極殿 皇極天皇 蘇我蝦夷
646 改新の詔 公地公民制へ移行
647 渟足柵  
648 磐舟柵  
649 法隆寺玉虫厨子完成?  
655 前年の孝徳天皇の死去をうけ、皇極天皇が飛鳥板蓋宮で重祚斉明天皇
658 阿倍比羅夫蝦夷征討 秋田地方 能代地方
661 斉明天皇筑紫国朝倉宮で死亡 中大兄皇子、称制
663 白村江の戦い  
664 対馬壱岐・筑紫に防人と烽を設置 筑紫に水城を建築  
665 筑紫に大野城・基肄城をつくる  
667 近江大津宮に都を移す  
668 天智天皇即位 cf 富本銭
669 中臣鎌足に藤原姓と大織冠の地位を授ける  
670 庚午年籍  
672 壬申の乱 大海人皇子vs大友王子(弘文天皇
673 飛鳥浄御原宮天武天皇即位 伊勢神宮
676 新羅朝鮮半島統一  
677 官大寺なる  
684 八色の姓を制定  
685 山田寺仏頭開眼 後に興福寺に移される(興福寺仏頭)
686 天武天皇  
689 飛鳥浄御原令施行  
690 庚寅年籍作成  
692 班田収受始まる  
694 藤原京遷都  
697 文武天皇即位  
698 薬師寺建立 薬師寺吉祥天像
  この頃、高松塚古墳  
701 大宝律令制定 刑部親王 藤原不比等
708 和同開珎 武蔵 
  出羽柵  
710 平城京に遷都  
  興福寺、奈良に建つ  
711 蓄銭叙位令  
712 古事記 稗田阿礼(誦習) 太安万侶(筆録)
713 風土記」の編纂を命じる 出雲(ほぼ完本) 常陸 播磨 豊後 肥前
717 百姓らの違法な出家、行基らの民間宗教の禁止  
  この年、阿倍仲麻呂、唐に渡る 玄宗皇帝 王維・李白と交流
718 養老律令 藤原不比等
720 日本書紀 舎人親王
722 百万町歩の開墾計画  
723 三世一身法  
724 聖武天皇即位 陸奥多賀城設置  
727 渤海使初来日  
729 長屋王の変  
730 悲田院・施薬院設置 この頃、貧窮問答歌山上憶良
733 秋田城  
734 興福寺阿修羅像(乾漆像)  
737 藤原武智麻呂 房前 宇合 麻呂、天然痘で死亡 南家 北家 式家 京家
738 橘諸兄政権 吉備真備 玄昉(法相宗
740 藤原広嗣の乱 吉備真備、玄昉の排斥 九州で挙兵
741 国分寺建立の詔 国分寺金光明四天王護国之寺 国分尼寺ー法華滅罪之寺
742 紫香楽宮  
743 墾田永年私財法  
  大仏造立の詔 盧舎那仏
745 平城京に戻る  
749 孝謙天皇即位  
750 この頃、法隆寺夢殿・東大寺法華堂 東大寺法華堂不空羂索観音像(乾漆像) 
751 懐風藻 撰者(?)淡海三船
752 大仏開眼供養  
754 鑑真東大寺戒壇を設置 東大寺戒壇堂四天王像(塑像)
755 安史の乱 これ以後、唐は衰退
756 この頃、正倉院宝庫 鳥毛立女屏風(樹下美人図) 螺鈿紫檀五絃琵琶
757 橘奈良麻呂の変  
758 淳仁天皇即位 藤原仲麻呂恵美押勝の名を賜る 藤原南家
759 唐招提寺 鑑真
  この頃、東大寺別当に良弁  
761 本朝三戒壇 筑紫観世音寺 下野薬師寺
764 恵美押勝の乱 淳仁天皇、淡路に廃帝 考謙太上天皇重祚称徳天皇
766 道鏡、法王となる  
767 伊治城  
769 宇佐八幡神託事件 和気清麻呂
770 百万塔陀羅尼 現存最古の印刷物
  称徳天皇没 道鏡、下野薬師寺別当に左遷 光仁天皇(天智系)即位 藤原百川藤原式家
  この頃、「万葉集 大伴家持
773 石上宅嗣芸亭を創設  
  この頃、唐招提寺金堂  
780 伊治呰麻呂の乱  
  神宮寺として、室生寺建立 室生寺金堂(弘仁・貞観文化)
781 桓武天皇即位 母:高野新笠
784 長岡京に遷都  
785 藤原種継暗殺 藤原式家 早良親王
788 最澄延暦寺を創建  
789 紀古佐美阿弖流為に大敗  
792 諸国の兵士を廃止し、一部地域を除き代わりに健児を置く  
794 平安京に遷都 山背国⇒山城国
797 続日本紀 菅野真道ら
  この頃、勘解由使設置か 令外官
  坂上田村麻呂征夷大将軍  
  三教指帰  
801 班田収受を一紀一班に改める  
  この頃、弘文院(和気氏の大学別曹)置かれる  
  この頃、空海「文鏡秘府論」  
802 坂上田村麻呂、胆沢城を建築 阿弖流為ら降伏  
803 坂上田村麻呂、志波城を築城  
804 能登客院  
805 最澄、帰国し天台宗を始める 関連:青蓮院不動明王二童子像
  徳政論争 藤原緒嗣(軍事と造作の批判) 菅野真道
806 平城天皇即位  
  空海、帰国し真言宗を開く  
  この頃、百済河成が活躍  
809 平城天皇、譲位し嵯峨天皇即位  
810 蔵人所を創設 巨勢野足 藤原冬嗣藤原北家) 
  薬子の変平城太上天皇の変 藤原仲成・薬子(藤原式家) 仲成は射殺 薬子は自殺 「二所朝廷」
812 空海「風信帖」 関連:三筆(空海嵯峨天皇橘逸勢
813 文室綿麻呂、徳丹城を築く  
814 小野岑守ら「凌雲集  
815 観心寺如意輪観音  
816 検非違使  
  この頃、神護寺薬師如来 関連:元興寺薬師如来像・薬師寺僧形八幡神像(いずれも一木造)
818 藤原冬嗣ら「文華秀麗集  
819 高野山金剛峰寺  
820 「顕戒論」  
  弘仁格式 三代格式
821 藤原冬嗣、勧学院を創立  
822 比叡山戒壇設置の許可が下りる 三一権実論争
  この頃、景戒「日本霊異記  
823 東寺空海に下賜 また、この年、比叡山寺を延暦寺とする  
  大宰府に公営田を設置  
827 良岑安世ら「経国集  
828 初の勅旨田  
  空海綜芸種智院を創設  
833 清原夏野ら「令義解」 官撰
835 この頃、「性霊集」  
842 承和の変藤原北家の他氏排斥:藤原良房 橘逸勢 伴健岑 
844 この頃、学館院(橘氏の大学別曹)設置  
847 円仁、唐から帰国 「入唐求法巡礼行記」
858 清和天皇即位 藤原良房、臣下で初めて摂政となる
866 応天門の変 伴善男
868 惟宗直本令集解 私撰
869 貞観格 三代格式
871 貞観式 三代格式
873 経基王に源姓を賜う(清和源氏  
879 日本文徳天皇実録  
881 在原氏「奨学院」  
884 光孝天皇即位 藤原基経、関白に任ぜられる  
887 阿衡の紛議 翌年、橘広相処罰
889 高望王、平の姓を賜る(桓武平氏  
894 菅原道真遣唐使停止の建議  
897 滝口の武者、初めて置かれる  
899 教王護国寺両界曼荼羅金剛界 胎蔵界  
900 菅家文草 (弘仁・貞観文化)
901 菅原道真藤原時平の策謀により右大臣から大宰権帥に左遷 (昌泰の変) 醍醐天皇
  日本三代実録  
902 延喜の荘園整理令 (班田の最後の年でもある)
905 紀貫之ら「古今和歌集 (国風文化) 「八大集」の一
907 唐が滅亡 五代十国時代 呉越(日本と交易)
  延喜格 三代格式
914 三善清行、醍醐天皇に「意見封事十二箇条」を奏上  
916 契丹(遼)建国  
918 高麗建国  
926 契丹によって渤海滅亡  
927 延喜式 三代格式
928 小野道風「屏風土代」 三蹟(跡)
930 藤原忠平摂政となる  
935 高麗によって新羅滅亡  
  この頃、紀貫之土佐日記  
  平将門、伯父の平国香を殺害 承平・天慶の乱始まる(~41)
939 平将門の乱 平将門、国府を攻略し新皇と名乗る
  藤原純友の乱  
940 平貞盛藤原秀郷とともに平将門を滅ぼす 下総猿島
941 源経基小野好古とともに藤原純友を討つ  
  藤原忠平、関白就任  
951 醍醐寺五重塔  
958 乾元大宝を鋳造 最後の本朝十二銭
960 宋が建つ  
963 空也六波羅蜜時を建立 「市聖」 浄土教を京の市で説く
967 村上天皇死去  
969 源高明左遷(安和の変 源満仲 源頼光
970 摂政藤原実頼死亡 (実頼以後、摂関常置となる)
974 蜻蛉日記  
982 この頃、慶滋保胤「池亭記」  
983 奝念、宋に入国  
985 源信「往生要集」  
  この頃、慶滋保胤「日本往生極楽記」  
986 奝念帰国。釈迦如来像を持ち帰る 嵯峨清涼寺
988 尾張国司藤原元命罷免 尾張国百姓等解(文)
991 藤原佐理「離洛帖」 三蹟(跡)
993 延暦寺で山門派と寺門派が争い、寺門派が園城寺に入る  
998 藤原道長御堂関白記 (現存最初の日記がこの年からのもの)
1001 清少納言枕草子  
1004 この頃、「和泉式部日記」  
1008 紫式部源氏物語 (この年の文献に記録初出)関連:「竹取物語」「伊勢物語」(共に成立年不詳)
1016 藤原道長摂政となる  
1018 藤原行成「白氏詩巻」 三蹟(跡)
  この頃、藤原公任和漢朗詠集  
1019 刀伊の入寇 大宰権帥 藤原隆家
  藤原頼通、関白就任  
1022 藤原道長、法成寺を建立  
  この頃、「栄華物語」  
1028 平忠常の乱  
1031 平忠常源頼信に降伏  
1032 この年、藤原実資「小右記」最後の記述 「この世をば わが世とぞ思う 望月の・・・」
1051 前九年合戦(の役)(~62) 源頼義・義家 陸奥俘囚安倍氏安倍頼時・貞任)
1052 末法元年 この年、藤原頼通、宇治の別荘を平等院とする
1053 平等院鳳凰堂落成 定朝 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 寄木造
1060 菅原孝標女更級日記  
  この頃、「陸奥話記」成立か?(11世紀後半)  
1068 後三条天皇即位 大江匡房
1069 延久の荘園整理令 記録荘園券契所
1072 宣旨枡  
  成尋、宋に渡る  
1077 法勝寺 白河天皇 六勝寺
1083 後三年合戦(の役)(~87) 出羽豪族清原氏の内紛 源義家清原清衡に加担
1086 白河天皇譲位し堀河天皇即位(院政の開始) 北面の武士を置く  
1096 白河上皇法皇となる  
1097 平正盛伊賀国の所領を六条院に寄進 伊勢平氏中央政界進出の基盤
1102 尊勝寺 堀河天皇 六勝寺
  この頃「大鏡  
1124 藤原清衡中尊寺金色堂  
1127 女真族の国金の圧力で北宋が滅亡し南宋成立  
1133 平忠盛、博多で宋と貿易 肥前国神崎荘
1138 中右記  
  この頃、「鳥獣戯画  
1141 八条院  
1152 平清盛厳島神社社殿修築  
  この頃、「扇面古写経」  
  この頃、藤原基衡毛越寺創建  
  この頃、「今昔物語集」成るか  
  この頃、「源氏物語絵巻  
1156 保元の乱 後白河天皇藤原通憲藤原忠通源義朝平清盛vs崇徳上皇藤原頼長源為義平忠正
1159 平治の乱 藤原信頼 藤原通憲信西) 頼朝、伊豆に流刑(蛭ヶ島) 北条時政
1160 白水阿弥陀堂  
1164 「平家納経」  
  蓮華王院  
1167 平清盛太政大臣になる  
1168 冨貴寺大堂  
1170 「今鏡」  
1172 平徳子建礼門院)、高倉天皇の中宮となる  
1177 鹿ヶ谷の陰謀 俊寛 藤原成親
  この頃、「伴大納言絵巻」  
1179 平清盛(平相国)、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉  
1180 平清盛大輪田泊修築  
  以仁王平氏追討の令旨 興福寺 園城寺 僧兵
  以仁王源頼政、挙兵  
  福原京に遷都  
  頼朝(8月・石橋山の戦い)、義仲(9月・木曽谷)  
  頼朝鎌倉入り。富士川の戦い  
  頼朝、侍所を設置 別当和田義盛
  平重衡東大寺焼き打ち 勧進上人重源
1181 養和の飢饉  
1183 倶利伽羅峠の戦い  
  平氏都落ち  
  後白河法皇、頼朝の東国支配権を認める(寿永二年十月宣旨)  
1184 この頃、三仏寺投入堂  
  一の谷の合戦  
  頼朝、公文所問注所を設置 大江広元 三善康信
1185 屋島の合戦  
  壇の浦の戦い  
  頼朝、守護・地頭を設置  
1187 藤原秀衡、死亡 関連:無量光院
  この頃、後白河法皇梁塵秘抄  
1189 奥州平定 藤原泰衡